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何十億という人間が存在するこの地球上には、私と同じ悩みを持つ人が存在していると信じている。
私はたった一人の欠陥品ではないと思い込まないと、生きていること自体がつらいから、強引にでもそう信じている。
けれど、信じれば生きやすくなるわけではない。だから、私はずっと、人生に希望を持てないまま、コミュニティに紛れたふりをして生きている。
コミュニティの中に入ると、はじめは皆が糸を繋ぎたがる。そうして、望んでもいないのに繋がれた糸を、皆はチョキンと切断する。
繋がれ、切断されるその時と、その後しばらくは心が荒れる。そんなことをするなら、そもそも繋いでくれるなと、心の中でひっそりと八つ当たりをする。
繋がれた糸があらかた切断されると、誰も私に話しかけなくなる。
誰も私を気にしなくなる。
すると、私は一人になれる。
一人はとても気が楽だった。
それぞれの人とのつながりは切られても、コミュニティから追い出されるわけではない、普通のふりをすることだけは許される環境は、私の人生に存在する唯一といっていい救いだった。
時々、罰ゲームなのか何なのか、私のもとに誰かがやってきて、そして他愛のないことを話しかけてくる。
話しかけてきた人は、ひとつの質問を終えると去っていく。佐藤くんもそうだ。佐藤くんがいつものメンバーのもとへ帰った後の盛り上がりを見ればわかる。
私に興味があったから問いかけに来たわけではなく、致し方がなく声をかけたのだとわかる。
父や母は、たぶん、私が〝顔を認識できない人間〟だとは思っていないと思う。だから、「いつもぼーっとして!」と、私にシャキッとするようにと、口酸っぱく言い続けるのは、仕方のないことなのだと思う。
このことをカミングアウトしようかと、過去本気で悩んだ。でも、できなかった。
そんなことを言って、信じてもらえるだろうか。そんなことを言って、悲しませないだろうか。
そんなことを言ったら、どんな反応をするだろうか。そんなことを言ったら、泣かれたりしないだろうか。
人間の脳みそは、意識しないとポジティブにはならない。ネガティブが大好きな脳みそは、私からポジティブな選択肢を、薄ら笑いを浮かべながら奪っていく。
私はそれに抗わない。だから、延々闇の中を彷徨うばかりだ。
普通のふりをしながら、コミュニティに紛れこみながら、心をびくびくと震わせながら生きるのは、容易なことではない。
父と母の心の中に渦巻く「うちの子はなんでこんなに引っ込み思案なんだろう」という疑問が、彼らの口から吐き出されるほうが、私のカミングアウトよりも早かった。
後ろめたいからだろうか。私は二人の顔をよく見ることができなかった。
怯えながらちらり、と見た顔は、黒で乱雑に塗りつぶした写真のように見えた。笑った。わたしの目は、脳は、いよいよ本当に人の顔を塗りつぶしだしたことを嗤った。
「ねぇ。お父さんとお母さんは今、真面目な話をしているんだよ?」
声音にわずかに怒りの響きを感じる。けれど、眉間にしわがあるのかはわからない。だって、塗りつぶされているから。
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