3人が本棚に入れています
本棚に追加
「じゃあ、俺の顔が黒く塗りつぶされて見えるってこと?」
ごく自然な、「次って美術だったよね?」と問うような響きだった。
「そういうこと、かもしれない」
「へぇ」
「ごめん」
佐藤くんは、まだ謎を抱えているような、納得がいかない気配とともに、いつものメンバーのもとへと戻っていった。
私には、人の顔がよくわからない。
ちゃんと見えてはいる。でも、その人が視界から消えた途端、どんな顔だったかわからなくなってしまうんだ。
そんなだから、私は街中で誰かと会っても、見たことがあるような気がするってくらいしか認識できない。
親だって、家族だって同じだ。
「なんだ、声かけてくれればいいのに」
そう、何回言われたことだろう。
私は、自分の顔もよくわからない。
鏡に映して何度も見ているはずなのに、鏡を失うと頭の中にある顔面が崩壊する。
私の頭の中には、人の顔がひとつもまともな形を成して記憶されていないのだ。
普通の人は、ちゃんと顔を覚えることができるらしい。
街中で知り合いに会ったなら、面倒がって気づかないふりをする場合を除いては、あいさつをしたり、雑談を始めたりしている。
そんな楽しげなことを、私はできない。
普通の人は、知り合いとコミュニケーションを取り合って生きている。そして、片方ばかりが声をかけるようになるとか、コミュニケーションのバランスが崩れ始めると、関係の糸をどんどんと長くして、そうして目が届かなくなったころにチョキン、と幻の音とともに切断する。
普通の人は、声をかけ、声をかけられの関係を維持できるから、そう簡単には糸は切れない。
だけど、私は普通じゃない。
誰かに声をかけられるばかりで、こちらから声をかけることはない。
崩れたバランスの修正方法なんてわからないし、相手に甘えること以外に維持する方法なんて存在しないから、だんだんと糸は長くなり、幻の音が響く。
幻の音は、私の頭の中では確かに響く。
――チョキン。
これまでの人生で、いったい何回あの音を聞いただろう。
最初のコメントを投稿しよう!