「餓える剣」第一章

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「餓える剣」第一章

一  東海道の宿場町/原宿は他の宿場町と比べると、長閑(のどか)で落ち着いた風景が多いところであった。旅籠の数も十数件しかなく、町は閑散としていた。江戸南町奉行所隠密同心/神月蔵人(かみつきくらんど)は、江戸南町奉行/甲斐庄正親と大目付/中山勘解由(かげゆ)直守から依頼を受け、ある事件の真相を調べていた。しかし、調査の中で身の危険を感じた蔵人は、妻/明恵と息子の隼人を安全な場所へ匿うため東海道を南下していた。  この原宿に着いたのは、陽も落ちた暮れ六つ半頃だった。蔵人は目についた旅籠に逗留し、強行軍で疲れていた体を休めた。四歳になった隼人は、部屋に案内されるとすぐに眠ってしまった。 「済まんな。」   隼人の寝顔を見ながら蔵人が呟いた。隣にいる明恵は首を横に振った。 「明日は、日の出とともに出立しよう。」 「はい。」 「今日は、早く休みなさい。」  蔵人は明恵の肩に手を置いて言った。明恵は着替えることもなく、隼人の横に敷いてある布団に入った。蔵人は部屋の障子窓を開け夜空を見上げた。月もない新月の夜空は、星の輝きもなく漆黒の闇に包まれていた。蔵人は強行軍の疲れもあり、もたれ掛かるように眠りに落ちた。  どれくらい時が過ぎたか分からないが、眠りに落ちていた蔵人の耳に、闇夜を貫くほどの悲鳴が聞こえて来る。その悲鳴は明恵だった。暗がりの中で確認出来たのは、明恵の布団に馬乗りになっている賊の姿だった。 「明恵!」  蔵人は明恵の名を叫びながら、馬乗りになっている賊に体当たりをした。血まみれになっている明恵を抱き起こすと、既に絶命していた。その目からは涙が零れていた。蔵人に体当たりをされた賊は、無防備になっている蔵人に向けて刀を振り下ろす。蔵人は、これを間一髪で躱し、床の間に置いてある大小の刀に手を伸ばした。   明恵の隣に寝ていたはずの隼人の布団の上にも、賊徒は馬乗りになり刀を突き刺していた。布団に刀を突き刺しても手ごたえが無かったのか、賊は布団をめくり中を確認した。  「いないぞ!」  蔵人は隼人の布団を確認している賊に刀を振り下ろし斬り捨てる。もう一人の賊が、蔵人に体当たりをして吹き飛ばす。蔵人は勢い余って廊下に吹き飛ばされる。廊下に吹き飛ばされた蔵人は、暗い中眠い目を擦りながら歩いている隼人を確認する。 「隼人!」  明恵の死を悲しむ暇もなく、蔵人は隼人を抱えて旅籠の外へ飛び出していった。旅籠を飛び出した蔵人を、賊の一味が外で待ち構えていた。蔵人は斬り掛かって来る刃を躱しながら、旅籠の裏にある奥深い森へ逃げていく。逃げても逃げても蔵人と隼人を、賊たちは追い続けた。蔵人は森の中の古びた社殿に隼人を匿い、自分は囮となって刺客たちに斬り込んで行く。社殿の入り口を塞ぐように蔵人が仁王立ちになる。社殿から隼人の泣き声が森の中に響き渡る。入り口を守る蔵人に、賊たちが少しずつ間合いを詰めていく。その人数は、十数人。多勢に無勢の蔵人の額には大粒の汗が浮かんでいる。 「観念せい。勝ち目はないぞ!」  賊の頭と思しき男が呟く。賊の頭が一味に斬り込む号令をかけようと手を上に上げた。蔵人は左右からの攻撃に備え、脇差も抜いて二刀を構える。 「待てぃ!」  その時、森の先々まで響き渡るような声がして、一同の動きが止まった。その声の主は、草木や枝を掻き分け出て来た。腰には大小二刀の刀が差していた。その声の主は、二十代半ばの若者を従者として連れていた。その若者の腰にも立派な大小が差してあった。 二  旅支度の格好をした侍が二名、蔵人たちの前に躍り出る。 「一人を相手に多人数とは卑怯な・・・立ち合いは、一対一と決まっておるわ!」  賊たちは、蔵人に斬り掛かるのを止め刀を二人に向けた。 「師匠・・・。近道などとお考えになるから、このような目に遭うのです。」  側に居た若者が師匠らしき人物のそっと耳打ちをした。 「馬鹿者!子供の泣き声が聞こえるではないか。あの子を(てて)なし子にしてはならん。」  若者は呆れた顔で溜息をつく。森の中を彷徨い迷ってしまったことを忘れ、自身の正当性を無理やり押し通した師匠に呆れてしまうのだった。この二人は十数人の賊たちを前にしても、全く慌てる様子もなく落ち着いていた。 「な・・・何者だ、貴様等!」 「貴様とは無礼な・・・。」  二人はそう呟きながら余裕綽々で賊たちの間を通り蔵人の側まで来る。 「そこで泣いておるのは、お主の子か?」  師匠らしき人物が蔵人に訊ねた。 「はい。・・・某は江戸南町奉行所隠密同心/神月蔵人。中にいるのは一子、隼人。」  疲弊しきっている蔵人は返事をするのが精一杯だった。 「左様か・・・。おっ・・・これは名乗らず無礼をいたした。某は、無住心剣流(むじゅうしんけんりゅう)小田切一雲(おだぎりいちうん)と申す。そして、この者が弟子の真里谷円四郎(まりやえんしろう)だ。」  円四郎が蔵人に会釈をする。 「事情は聞かぬが、多勢に無勢じゃ。助太刀いたしてもよろしいか。」  一雲は蔵人の肩に手を掛け微笑んだ。 「忝い・・・御頼み申します。」  返事を聞き一雲が再び優しく微笑んだ。そして・・・。 「さぁ~て、円四郎!此奴等、何者かはわからぬが悪党に違いあるまい。」 「ま・・・そうでしょうね。」  円四郎がゆっくりとして動作で刀を抜いた。 「悪党は斬り捨て御免じゃ・・・。遠慮なく殺れ。」 「はい。」  円四郎がそう返事をした時既に、賊たちの横を一気に駆け抜け四人は無言のまま倒れた。この時、駆け抜けた円四郎は、一雲と賊を挟み撃ちにするような形になった。 「流石じゃの。」  一雲は感心して呟く。 「な・・・何をしている!き・・・斬れぃ!」  賊の頭が慌てて命令を下す。頭の下知で我を取り戻した一味は、一雲と円四郎に一斉に襲い掛かる。一雲に数人の刀が一度に振り下ろされた。ところが宙に舞う羽のように、一雲の体は次々に刀を躱していった。躱された賊たちは、斬り込んだ姿勢のまま立ち尽くしている。 「どうした!反撃せぃ!」  賊の頭は微動だにしない配下の一人の肩を掴んだ。すると、一人また一人と血飛沫を上げ倒れていく。 「さぁて、あと何人残っておる。」 「あと四人です。」  賊の頭は追い詰めた蔵人の存在も忘れ、配下と共に少しずつ後退っていく。 「悪党、観念するのは貴様等のようだな。」  一雲と円四郎は、残った一味との間合いを詰めていく。 「引けい!」  賊の頭は一雲と円四郎に炸裂弾を投げた。耳を劈くような音が森中に響き渡り、煙幕のような白い煙が立ちこめる。一雲は、その煙を吸い込んだのか咽るようにに咳込む。 「逃げたか・・・。」  円四郎は刀を納めて呟いた。立ち込めた煙が無くなり、森の中に深夜の静けさが戻った。二人が振り返ると、社殿の入り口に陣取っていた蔵人の姿が消えていた。 「神月殿?・・・神月殿!」  円四郎が辺りを見渡すが、蔵人の姿は見当たらなかった。一雲が社殿の扉を開き、暗がりの中を見ると泣き疲れて眠っている隼人がいた。周囲を探し回っていた円四郎が戻って来て一雲に現状を報告した。 「身を隠したようです。」 「・・・左様か。」  一雲は眠っている隼人を抱き上げる。顔を覗き込むと、涙で濡れた痕が頬に残っていた。 「どうする円四郎・・・。」   「どうするって師匠・・・。」 「そうだ・・・。お前、この子を引き取って跡継ぎにしたらどうだ。」 「えっ!」 「うん、それがいい!そうしろ!」  一雲は抱えていた隼人を円四郎に突き出した。 「何を言っているのですか!私は所帯を持っておりませんよ。」   円四郎は、そう言って一雲の胸に戻した。 「なら、江戸へ立ち戻って直ぐ所帯を持て!」 「師匠こそ、奥方様がおいでになるのだから、この子を引き取って育てて下さい。」   深夜の森の中、結論の出ないやり取りを繰り返す二人の様子を、蔵人は木の陰から涙をこぼしながら見つめていた。そして、隼人や妻/明恵の思いを振り切るように漆黒の闇へと消えて行った。
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