最悪の夜

2/3
前へ
/17ページ
次へ
 夜の十二時に自転車を押しながら急坂を上っていたら、上から黄色のスポーツカーが爆速で走り下りてくる。慌てて脇にそれたは良いが、改造車特有の尾を引く音が鼓膜でわんわんと反響する。こちらは自転車のライトを点灯させていたし、それに深夜の坂道であれはないだろう。もしも鉄の塊が自分めがけてぶつかってきたら即死だろう。それとも坂道を転げ落ちての全身打撲だろうか。三日前の四月五日に二十五歳になったばかりだ。不吉なことを考えるな、と野田春人(のだはると)は怖くなってきて奥歯を噛みしめた。  後ろで激しく物と物がぶつかるような音がした。 「ひぃっ」  次は何だ。今日は厄日か。  春人は肝が冷えるなとハンドルを強く握り直し、来た道を振り返る。坂の下で先程の無軌道な車が、大通りから入って来た赤い車と正面衝突していた。黄色のスポーツカーと赤のロードスターが事故った。夜の闇にカラフルな車体が目に痛い。ハレーションを起こす。 「やばい」  鞄から携帯電話を取り出し、どこにかけたらいいのか分からなくて、警察に電話した。 「二台の車が、ぶつかって、はい、人が乗っています」  住所を伝えて通話を切った。深夜の住宅街にぽつりぽつりと電気が付いていく。それでも誰も出てこないから、春人は坂道を下りる足に力を入れた。こんな時に限って外灯の光が切れている。坂の下にある他人様の家の生け垣に自転車を倒し、車の運転席を確認した。 「大丈夫ですか」  黄色のスポーツカーから、身長が百七十ある春人より、背の低い五十代くらいの男が出てきた。足を引きずりながら逃げようとしているのか、春人の姿に焦っていた。 「あっちがぶつかってきた」  その発言には無理がある。 「逃げるなっ」  春人が男の腕を掴んで取り押さえたら、対向車から運転手が出てくる。暗くて顔は見えないが、春人よりも背が高く、暗い色のスーツを着ていた。  スーツ姿の男は中年の男めがけて拳を振り上げる。 「そいつの腕を放すな」  スーツ姿の男はそう言う。 「殴ったら駄目ですっ」  と、春人は中年の男の腕を引っ張って脇に移動した。 「何をするんだ」 「貴方だって何してるんですか、捕まりますよ」  スーツ姿の男は苛立ちを近くの電柱にぶつけ、ゴッとコンクリートと金属がぶつかる音をさせた。中年の男が驚いて、春人の手を振り払おうとする。どうにか手首に力を込めて中年の男の逃亡を死守するも、春人は転倒してしまい、咄嗟に頭を守ろうとして肘を打ってしまう。 「いっ」  春人が呻くも、 「頭がイカれてんのか」  真横に倒れた中年の男の声によってかき消された。 「あ? それは俺に言ってるのか」 「そりゃあそうだっ」  スーツ姿の男が気怠げに手首を振る。右手の中指にシルバーの指輪がはめられていた。スーツ姿にごつい指輪がアンバランスだ。 「うるせえな、こんなド派手な奴に乗ってるくせに、ぎゃあぎゃあと喚くんじゃねえよ」  スーツ姿の男は乱暴な物言いをする。次に春人の横にひざまずき、 「起き上がれますか」  ぐいっと顔を寄せてくる。 「かすっただけなので」 「本当ですか?」  スーツ姿の男が疑わしいと、春人の体をペタペタと触り、痛いところがないか探ってくる。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加