大水

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大水

 紗代が生まれ育った村では、近くを流れる川が度々氾濫した。  堤を越えて溢れ出た水は辺りの家々を流し、田畑を沈め、多くの人が流される。  大水が出る時、川から鈴の音が聞こえると言われており、それを聞いた誰かが「川が危ない! 水が来るぞ!」と知らせて回る。    その日も明け方、叫び知らせる声がして、紗代は父と外へ飛び出した。  少しでも高い場所へと二人で逃げる途中、父がへたり込む老女を見つけて足を止めた。 「名主様の大奥様ではございませんか」  名主の母親が歩けなくなり、人の波から外れてしゃがみこんでいたのだ。 「さあ、一緒に」 「ああ、多吉(たきち)さん、私のことは放っておいておくれ。こんな年寄、もういつお迎えが来てもおかしくない。若いあんた達は逃げなさい」 「何を仰います。さあ、私が背負いましょう」  父は背負っていた風呂敷を捨て、代わりに大奥様を背負い、右手で紗代の手を引くと、再び人の流れに戻り、高台へと向かった。しかし──。  時すでに遅し。堤を越えた大量の水が押し寄せてきて、三人はほかの者達と共に流された。  途中、父はなんとか大奥様と紗代を浮いていた大きな桶につかまらせるが、父自身は力尽きてそのまま流されて行ってしまった。 「とと、とと──!」  紗代は大声で叫んだが、濁流にのみ込まれてすぐに父の姿は見えなくなった。  大桶はやがて浅瀬に流れ着き、なんとか引き上げられ二人は助かった。 「お紗代ちゃん、ごめんよ。私のためにあんたのおっとさんを……」  大奥様はびしょ濡れの紗代を抱き寄せた。  紗代が生まれた翌年に出た大水で、紗代の母は亡くなっていた。そしてこの度の大水で父も亡くし、紗代は七歳で天涯孤独となってしまった。  近くに縁者もおらず、さて紗代をどうしたものかと隣組の皆が頭を抱えていると、名主の家から使いが来て大奥様が引き受けると伝えてきた。  名主の家の離れで暮らす大奥様の、身の回りの世話をするという名目で、紗代は引き取られた。  それが命を助けてくれた紗代の父への精いっぱいの恩返しだと、大奥様は語ったという。  紗代はその日から大奥様の側に侍り、言いつけ通りにお世話をした。といっても、子供の紗代にできることといえば、食事の上げ下げやお出かけのお供、薬を村の医者にもらいに行くなどの簡単なことだった。  けれども大奥様の孫は皆男の子だったので、女の孫ができたようだと可愛がってもらった。  紗代はお遣いで一人出かけると、川に寄って川面を眺めることがあった。未だ見つかっていない父の亡骸が流れ着くのではないか、そう思ってのことだった。  ある日、大水の跡が沼地になった辺りを歩いていると、泥の中に何か光る物を見つけた。拾って泥水で(すす)いでみると、それは縮緬の紐が付いた小さな鈴だった。 ──リン  振ると綺麗な音がした。  さらに鈴が落ちていたすぐ隣に、白いものが出ていた。  紗代が屈んで少し掘り、出てきたものを泥水で濯ぐ。 (あっ……)  一瞬、紗代は落としそうになる。  それは真っ白な髑髏(されこうべ)だった。
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