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(なぜ、こんなところに?)  紗代は不思議に思った。  もしかしたら、父かもしれない。  そう思うと恐ろしさは消え、紗代は川岸の桜の木の根元に時間をかけて穴を掘り、それを埋めて手を合わせた。  鈴の方はなんとなく手放せずに、懐に入れた。  さて、紗代の存在を名主夫婦や古い使用人は大奥様の暇つぶしの相手ができたと喜んでいたが、若い奉公人からは特別扱いを妬まれた。  特に下働きの(うめ)などは年が近く、台所に大奥様のお膳を取りに行くと火傷させられそうになったり意地悪をされた。 「紗代ちゃん、名主さんの所をしくじったら、行くところがなくなっちまうんだ。だからしっかり大奥様にお仕えするんだよ」  紗代は名主の家へ引き取られる時、隣組の皆から言い含められたことを肝に銘じて耐えた。  ある時、紗代は大奥様の薬をもらいに町医者の所へ行くよう命じられた。 「寄り道せずにお戻りよ」  奥を束ねる女中頭のお(たみ)にそう言われていたので、紗代は薬を受け取ると急いで帰路に着いた。  夕暮れに影が長く伸びていた。  ポツ、ポツ、ポツ──。  雨が降り出した。 (急がなきゃ)  紗代は乾いた道に雨が点々と跡を付けていく中を駆けだした。  しかし、雨はやがて本降りになり、薬の包みが濡れてしまうといけないと、紗代は慌てて近くの家の軒下に入った。 おさよ──  どこからか男性の声が自分の名を呼んだ気がした。 「とと?」  父を呼んで辺りを見渡すが、勘違いだった。  自分と同じ位の年齢の女の子を迎えに来た父親が、その子を抱きかかえて急ぎ足で帰っていった。  雨に降られても迎えに来てくれる人はいない──。頼る親のいない我が身が悲しかった。  紗代は下を向いてぽろぽろ泣き出した。もちろん、そんな紗代に気付く人なんていない──。 「うううっ……。うううっ……」  紗代が泣いていると、ふと隣で気配がした。  紗代が顔を上げると、若い女が立っていた。長い髪を束ね、白藤色(しらふじいろ)の着物を着た綺麗な女だった。
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