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習わし
その頃、村の神社の宮司がたびたび名主の元を訪れていた。
「おお、りん、元気だったか」
お民を手伝って二人に酒肴を運んできた紗代を認めると、宮司はぴたりと話を止め声をかけてきた。
「はい。宮司様」
紗代が返事をすると、それからは紗代の一挙手一投足を見るばかりで何も話さない。
──リン
緊張した紗代が立ち上がろうとして、いつかのように懐の鈴を落してしまった。鈴は宮司の側に落ちた。
「お、お前、どうしてこれを?」
鈴を手に取り宮司が驚き、それを見たお民の顔色が変わる。
「これは、あの」
紗代は正直に、父が大水で亡くなったあと、見つけた鈴だと話した。
「そうだったか。やはりお前はそういう運命だったのだ。これで迷いはなくなった。な、名主殿」
宮司はそう言って、顔色の悪い名主を見た。
「は、はあ……」
名主は強張った表情のまま、肯いた。
紗代はわけがわからないままお民と座敷を出た。
深夜、座敷の方で大きな声が響いた。
女衆達の部屋でお民や梅達と布団を並べて寝ていた紗代は、その声に目が覚めた。他の女中達も目が覚めているようだ。
どうやら幸助が一方的に怒鳴り、それを名主や弟達が収めようとしている様子だった。
「それで堤防が崩れないと言うのか。これまで何度崩れたと思ってるんだ」
「そんな迷信を信じて、人の命を何だと思ってるのか!」
「親父、目を覚ませ!」
激高する幸助を、皆がなんとか宥めようとしていた。
「なにがあったのでしょうか?」
お紗代達がお民に尋ねると、お民は「いいから、皆休みなさい」と言って、布団を被って眠ってしまった。
仕方なく他の女達も横になるが、お民が泣いているのか、怯えているのか、その布団がぶるぶる震えているのにお紗代は気付いた。
それから数日が経ったある日の明け方、りんは誰かに揺り起こされた。
目を開けると、お民が自分の口に指を当て、声を出さぬようにと合図した。
「いいかい。もう少しで明るくなるから、そうしたらあんたはお逃げ」
「えっ?」
「このままだと、あんたは人柱にされちまう。外で幸助坊ちゃんが待ってるから、一緒にお逃げ。さあ、急いで」
「どういうことですか?」
「ここにはね、新しい堤を築く時、人柱を立てる習わしがあるのさ」
お民は小さな声で説明する。
人柱は身寄りのない若い生娘が選ばれるという。傷がつかないよう大切にされ、名前は“りん”と替えられる。
「人柱に立つ時に、鈴を持たされるのさ。あんたが持っていた、あの鈴さ」
だから、名前は“りん”なのか? もし堤が崩れる時には、その鈴で知らせるようにと持たされるのだ。
「あんたが持っていた鈴は、過去に人柱になった娘が持っていたものなんだろう」
紗代はそれで思い出す。鈴の側に真っ白い骸骨があったことを。
「坊ちゃんはくだらない習わしを止めさせようと、江戸へ行った。けれども、この村の皆の考えは変わらない」
──お民、俺は江戸へ戻る。紗代も連れて行く。もうこの村に未練はない──
そうこっそり打ち明けてくれたのだという。
幸助を可愛がっていたお民はそれを受け入れ、手助けしてくれたのだ。
お紗代は肯くと急いで身支度をして、お民に導かれて庭へ出た。
広い庭の木戸の所で、旅支度をした幸助が待っていた。
「お紗代、こっちだ」
しかし──。
「皆、起きて! 大変だ! りんが逃げるよ。坊ちゃんとりんが逃げるよ」
女衆の部屋から、梅が大声で叫んだ。
梅は寝たふりをして、お民と紗代の会話を聞いていたのだった。
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