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目の前に立ちはだかる伊邪那岐の言葉に、女は思わず笑声を溢した。
「ふふふ、妻?妻ですって?あの離別の言葉をお忘れ?大巌で隔てられた時から、我々は夫婦ではなく、対極する存在になった。生み出す者と、奪う者として……!」
ああ、そうだ。忘れもしない、黄泉での出来事。この男は私との約束を破った。挙句、私の姿を見て逃げ出した。
沸々と怒りと恨みが込み上げてくる。
ほんと、だらしのない男だこと。穢れの前に恐れ逃げ出した、臆病者。
『ふふふ、妻?今、妻って呼んだわよね!?確かにそう聞こえたわよ。やっぱり運命の糸で繋がっているのよねー!ってか何?人格入れ替わっちゃうのね?その今にも消えそうな儚い感じを出しておいて、威厳ある喋り方とか……。そういうのも良いじゃない……!好き!これは推し確定です!今回の依代は当たりだわ……!』
そこまで考えて、那美は我に帰る。本音と本音が混ざり合って混沌を生み出していることを自覚する。
一つ咳払いをした。
「良いでしょう。互いに新たな依代を迎えた記念として、貴方諸共、この地を蹂躙してやるわ……!」
「させるか……!」
伊邪那岐は陽の矛を、那美は陰の矛を構える。
「可愛い貴方の依代のために、今一度名乗りましょう。吾は天地開闢、神世七代最後の神。神の母である。国の母である。そして、「死」である。名を伊邪那美命!さあ、愛しい貴方。殺し合いましょう!」
そうして、二つの矛がぶつかり合った。
陰と陽の気が相剋する。二神の力は奔流を生み、あたりの物を吹き飛ばす。
勝負がつくはずもない。伊邪那岐命、伊邪那美命は対の神でなければいけない。故に、どちらかが死ぬことは許されないのだ。
これは、決着が付くことのない夫婦喧嘩である。
『ちょっと!イザナギノミコト!街どころか国ごと吹き飛ばすつもりですか!?』
「安心しろ。加減はしているさ」
脳内で慌てている凪が思い浮かぶ。
伊邪那岐はちらりと東の空を見た。朝まで耐えればこちらの勝ちだ。だが、夜明けまではまだ六時間もある。さてどうしたものか。
じ、と那美を見つめる。その視線に気がついた那美は狼狽えた。
「な、何かしら、あの視線。……は!もしかして、今日の服装、ちょっと変だったかしら!?」
那美の意識が、僅かに自分の服に向いた刹那、保たれていた均衡は崩れ、陽の矛が陰の矛を砕いた。
「あ」「あ」
伊邪那岐が僅かに神気の出力を落とした。那美は矛を防ぐために瞬時に防御壁を張る。が、爆風に巻き込まれて姿を消した。
煙が消え去った時には、そこに那美の姿は無かった。
『け、決して負けたわけじゃありませんから!今回はちょっと油断しただけです!』
などという声が空から聞こえる。伊邪那岐は地面に降り立つと、一つ息をついた。今日のところはもう姿を現さないだろう。
少年から威厳ある気が掻き消える。
「お疲れ様でした」
と、凪は自分の中に戻った伊邪那岐に声をかける。
ふと、那美の姿を思い出す。長い髪は艶やかにうねり、ミリタリーロリィタ風の服を纏っていた。依代の年は、おそらく20代前半か。
「綺麗な人だったな……」
『当たり前だ。我が妻なのだから』
そう、誇らしげにする伊邪那岐に、夫バカかな、などと思う凪であった。
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