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2 ーナギー
何故、あの時逃げ出してしまったのだろう。
いや、あの場の穢れには、本能が逆らえなかった。
逃げなければ道連れだ。それはすなわち、死を意味する。
葡萄を生やし、筍を生やし、剣を振り、桃を投げ、大磐で塞いでやっと離別を告げることができた。それでよかった。よかった、はずなのだ。
結果的に、三人の神を生むことができ、国は安泰。
なのに、どうしてこんなにも後悔しているのだろうか。
ーーーああ。そうだ。
もう一度彼女に会えるのなら、心から愛していると、伝えたい。
『……む。彼女が現れたみたいだ』
「そっか。僕は初対面になるけど」
脳内に響く、もう一人の人格。命の恩人である彼は、困っているような声を上げた。
『……気まずい。やっぱり気まずい。何十年、何百年と繰り返しているとはいえ、いつまで経っても気まずいのは変わらない』
「でも、愛してるんでしょ?」
真っ白なドレスを片付けながら聞き返す。
『考えてみろ。死んだ後とはいえ、我は妻に酷い仕打ちをしたんだぞ?それであいつはずっと怒ってる』
「二人の夫婦喧嘩に人間を巻き込まないでくださーい」
白銀の髪を持つ少年は呆れたようにそっと嘆息した。
膨大な花嫁衣装が並ぶ倉庫で、たった一人で彼と会話する。
『人間を巻き込むなとは言っても、あいつとは神代の頃からの呪いがある。多少はやむを得まい』
「僕は自分から関わってるから別にいいんだけど、無関係の人を巻き込むのはやめてほしいなあ……。その点、ちょっとは許せないかも」
『それでいい。お前はお前だけの敵対理由を作ればいい』
その時、倉庫に誰かが入ってきた気配があった。上司の女性だった。
「いたいた、凪君!ごめんねー!一人で片付けさせちゃって」
「このくらい大丈夫ですよ。ついでに出すものとかありますか?」
「今日は最後の花嫁さん、帰ったところだし大丈夫。いつもありがとうね」
凪は最後の一着をハンガーラックにかけると、その場を後にした。
ドレスショップ「Blue star」。大都会から少し離れた場所にある静かなウェディングドレス専門店。そこで天埜凪はメンズコーディネーターとして働いている。
見た目は少年だが、これでも歳は既に二十四。某ミステリーアニメの常套句、「見た目は子ども、頭脳は大人」に当てはまる稀有な人間である。
ただ、背が縮んだわけでもなく、若返ったわけでもない。
彼の身体は、十五歳のまま時が止まっている。
訳を話すと長くなるのだが、その件にかかわる人物が一人。彼は今、凪の中にいる。
『彼女はおそらく……あのテレビ塔の付近に現れる』
「人が沢山集まってるしね」
凪は仕事場から退勤し、スーツから普段着の着物へと着替える。
外に出ると、やけに騒々しい。
「……早く行かないと」
肉食獣に追われる小動物のように、逃げ惑う人の群れに逆らって凪は疾走する。
誰かが凪を止める声をかけるが、それもすぐに遠ざかる。
テレビ塔がある広場が見える。雷が駆け巡り、十、二十と人間が倒れていく。およそ五十に到達した時、やっと射程圏内に敵の姿を捉えた。
凪は神の力を借り、一振りの矛を彼女めがけて投げた。
冷笑を浮かべる女は、造作もなく矛を跳ね除ける。
「流石に殺し過ぎですよ!黄泉軍!最近、数が減ってきているんですからあんまり狩らないでいただけませんか!?」
敵にこんなことを言うのも場違いだとは思うのだが、つい、思っていたことが口から溢れてしまった。
彼が前に出たがっている。
敵の女は、なぜか眼鏡を掛け直しただけで動かない。
「あとはお願いします、イザナギノミコト」
凪は瞳を閉じる。再び瞼を開けた時、ナギは変わる。
「ああ、任された」
華奢な少年から神威が溢れ出る。
「刮目せよ。吾は天地開闢、神世七代最後の神。神の父である。国の父である。名を伊邪那岐命。命あるものは尊崇せよ」
伊邪那岐は女を、その透き通った水色の瞳に映す。
「新しい依代で出会うのは初めてだな。我が妻」
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