2015.1. 末日 ◀︎'24.7.25投稿

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2015.1. 末日 ◀︎'24.7.25投稿

 2015年1月末日の土曜日。午前11時。  屋外では寒風が吹き荒ぶものの快晴で、時折、前髪に風圧が叩きつけられるのを感じていた。  年明けから姿が見えなくなった汐見を一昨日の1月29日木曜日にようやく捕まえた。その時、初めて社外で会う約束をした俺は、今、その待ち合わせ場所に来ている。  風のせいで肌寒さを感じるわりに体感温度がそれほど低くないのは、アイボリー色の厚手のコートの下にダークグレーのタートルネックセーターを着込んでいるからだ。ヒートテックスをインナーに、スラックスタイプのネイビーのボトムという出立ちで勤務先近くの公園前に立っている。  1月前の忘年会で汐見と初めて会話をした後、1月5日の月曜日に出社しているところは見かけたのだ。だが、新年の挨拶を交わした翌日から汐見の姿は社内で見なくなった。  開発部の同期に聞いたところによると──年明け早々に始まった汐見が所属するプロジェクトがあり、某公社のインフラを含めたシステム全リプレース作業でエラーが続発したらしい。その直後に、相手方企業への1ヶ月の出向命令が出で、汐見以下、合計3名が出向先で箱詰め状態だということだ。 (3週間箱詰めなんてことがあるのか……開発って大変だな……)  同期に聞くまでは(1週間もすれば何事もなかったように会社に出社するだろう)と思っていた俺は、1ヶ月の出向辞令が出た汐見をかわいそうに思ったが、それと同時に汐見と連絡先を交換していなかったことを後悔した。 (だって、なぁ……)  女性相手なら出会って会話したすぐその時に、サラッとLIMEの交換をしてたはずだ。なのに、今回に限っては──汐見に対しては──頭の片隅からすっぽり抜けていた。  抜けていたというのもおかしい。思いもよらなかったというのが正しい。部署が違うとはいえ、毎日出社する同じ社内の同じ社屋の同じ階の同僚だ。  会いに行こうと思えば会いに行ける距離だと思っていたからこその、失念だった。 (まさかこんなタイミングで……)  そう思うのも仕方がない。  だが、同じ会社内の同僚とはいえ、先月の忘年会の事件まで汐見とはまともに面識もなく、そもそも同期でもなく、同じ部署でもない。  そんな友人でもない人間の家に、流れとはいえ突然自宅訪問することになったこと自体が俺の中で例外中の例外、特例中の特例だった。 (あの時はそれだけ……弱ってたよな……)  社内に味方と思える人間を作ってこなかった俺の落ち度といえばそうかもしれない。  日常的に女性に対しては軽い態度と気持ちで接していたし、その方が相手にも好まれたし、相手にも自分にも都合がよかった。  同性からは──この見た目のせいで──表立って攻撃してくる人は鈴木先輩くらいしかいなかったが、それでも裏で色々嫌味を言われているのは知っていた。  自分の預かり知らないところで羨望と妬み半々の評価が下されていることは理解していたし、高校時代から同様の対応をされていた俺は「社会なんてそんなもんだろう」としか思っていなかったから取り立てて何か策を講じることはなかった。  だからこそ、当たらず障らずな人間関係を築くのが俺の中で自明の理になっていたのだ。  そんな軽い関係しか築いてこなかった俺が唯一弱みを見せてしまった相手なんて、これまでの人生で初の体験だった。 (全然嫌じゃなかったし……それどころか…………安心した……んだよな……)  だから、一昨日の俺は忘年会以来初めて、社外で汐見と会う機会を得ることになったわけで。  一昨日────  朝イチの書類整理が終わって一息つこうと自販機でいつものように缶コーヒーを選んでボタンを押した。取り出し口に落ちて来た缶を取ろうと屈み込んだ時、誰かが俺の背後に立つ気配がして、振り向く直前 「佐藤。久しぶりだな」 「汐見さん!」 「おう」  背後から聞こえて来た低い声は、先月、本人の自宅で話した時と同じだった。  会いたいと思っていた相手に久しぶりに会えた俺は少し舞い上がった。  汐見はというと、いつも通りの出たちだった。ゆったりめの白いワイシャツに、ダークな色のネクタイと首から掛けた社員証ストラップを胸ポケットに無造作に突っ込み、肘あたりまでめくった袖から日焼けした前腕が覗いている。 「1ヶ月は出向で不在だって聞いてましたけど、いつ戻って来たんですか?」 「今日、ついさっきだ」 「ええ! って、1週間早いですよね……」 「残りはインフラの問題だったから、別のチームに丸投げして戻って来た」 「ネットワークチームの……」 「ああ。光回線を引く予定だったのが、契約会社の手違いでADSLになっていたらしい。その辺りの不具合もあって……まぁ、それは営業にはどうでもいいな」  ガリガリと寝癖が取れていない頭を掻く汐見を見て思ったものだ。 (ほんとに……仕事人間なんだなぁ……)  汐見潮は不思議な男だと思う。  いや、俺が今までそういうタイプの人間と交流がなかっただけなのかもしれない。  俺自身は自他共に認める甘い感じ──猫っ毛の茶色い髪で、基本的に肌も目も色素が薄く、柳眉・垂れ目の女顔──の美形だが、汐見はなんというかまあ、有り体に言うと、見た目は普通の男だ。  硬そうな髪質の短髪で、中肉中背、ガッチリ体型で、眼鏡を掛けててもわかる吊り目の強面が特徴的だった。  それに加えて。  仕事に対しては自分にも同僚にも厳しく、簡単な妥協を一切許さない部内への徹底ぶり、かつ塩対応。  一睨みの眼光の鋭さから中途入社してまだ4ヶ月しか経っていないのに【鬼の汐見】と呼ばれていた。そんな呼称を貰っても動じないなんて、改めて肝が据わっている奴だと関心させられる。 (俺なんか、この顔のせいで舐められっぱなしだもんな……)  年齢だって汐見が2歳上なだけでさほど変わらないはずなのに、顔だけじゃないあの落ち着きよう。  絶対サバ呼んでるだろと思った俺の感覚は間違ってぃないはずだ。  実際に大学の卒業年を聞いたら、俺の1年上だったから質問すると「1浪したんだ」と答えられた。老け顔ってわけじゃないけど、この壮年以上の雰囲気は只者じゃないと思う。  だから、ってわけじゃないだろうけど、年明けからの鈴木先輩の態度がかなり、いや、大分変わった。  1ヶ月ほどしか経っていない忘年会での出来事は覚えている社内の人間も多く、鈴木先輩の方が居心地悪そうにしているのを見るのはかなり爽快だった。  そもそも俺自身に非はないんだから、当然といえば当然なんだけど、それにしても。と思うわけだ。  あの目つきの悪い顔だけ見るとヤクザだと言っても通るだろうから、普通の人間が睨まれて怯まないわけがないんだ。こう、顔を俯けたままで下から見上げるような睨みなんてもう玄人裸足なんだから。 <すこし続きます……> 📝2024/07/25_21:30ごろ投稿 初出:2023/7/10(去年の「汐見誕生日企画」で投稿したもの……)
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