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大学生の頃だった。
二月。
朝から雪が降っていて、わたしの住む東北地方は数センチの積雪があった。道をゆく自動車は滑らないようにとゆっくり走行し、前方の自動車がブレーキを踏めば、後方の自動車もブレーキランプを光らせる。のろのろと続く列は灯りを背負ったカタツムリの行進のようだった。
――自宅への道のりが長い。
いつもなら最寄駅から自宅までの田舎道は十五分ほど。それがその日は、倍の時間はかかりそうな調子だった。雪国の人間も、さすがに雪が積もった川沿いの土手を走るのは慎重になる。
この進み具合とは対照に、わたしは焦燥に駆られていた。
大学で午前の講義を受けていたとき、母から連絡があったのだ。授業中にも関わらず電話を寄越すなど、よほどのことだろうと、不在着信を表示する携帯電話を握り締めた。
折り返しの電話をかけた母の声は、落ち着いていたが、沈んでいた。
『じいちゃんが、入院した』
その言葉は正確にわたしを捕らえて突き刺す針のようで、あるいはどこか他人事に頬を撫でてゆく風のようで、わたしはただうんうんと相槌を打った。
祖父は七十代後半だった。お酒は昔に比べたら飲めなくなっていたけれど、やめなさいと言われても煙草は吸うし、農作業などの力仕事もできるし、自転車にも乗る。
そんな祖父が入院したという。
帰っても、家には誰もいなかった。
わたしが病院に行ったところでなにかができるわけではない。母にも、講義をすべて受けてからの帰宅でいいと言われた。
雪の降る灰色の空はいつもより早く夜を連れてきて、わたしは暗い家で一人、家族の帰りを待った。
十九時を過ぎた頃、部活を終えた高校生の弟を自動車に乗せて、母と祖母が病院から帰宅した。
脳出血を起こしたみたい、しばらく入院だって、次の土日に一緒にお見舞いに行こうとだけ言うと、母は手早く荷物をまとめ、病院へとんぼ返りしてしまった。
母は念のためにと祖父に付き添い病院で過ごすことが増え、二人のいない生活が始まったのだ。
祖父の経過は順調だった――が、入院中、認知症の症状が顕著となり、わたしから見ればそれは順調とは言い難いものに思えた。
昔のことばかり語る祖父を案じて、母は早くに祖父を退院させたがった。リハビリへの意欲もあり、家族の願い叶って翌月には家へと帰ることができたが、穏やかな時は束の間。
五月。風邪。
悪化して誤嚥性肺炎。再入院。
もともと細身の祖父はさらに痩せ細り、自力で痰を出すこともできなくなった。チューブを入れられて無理矢理に痰を出す様子はあまりに痛々しく、わたしはつい顔を顰めてしまうことが多かった。
治っても退院はできなかった。その頃にはもう身体のいろいろなところが悪くなっていたのだろう。容態が急変することもあり、駆けつけては祖父の笑顔を見てほっとする。父のいない我が家の力仕事を一手に引き受けていた逞しい祖父の姿を思い出し、やっぱりじいちゃんは死なないんだ、なんて根拠のないことを思っていた。
――梅雨の最中、蒸し暑い夜のこと。病院に泊まっていた母から電話があった。
こんな時間に、良い報せのわけがない。
『みんなで今すぐ病院に来て』
そう話す母は涙声で、わたしが病院へと運転する車内では祖母や弟が携帯電話越しに祖父へ何度も何度も声をかけていた。叫びに近いような母の声も聞こえてきて、わたしは視界が滲まないように涙を堪えるのに必死だった。
祖父が亡くなったのは七月の初旬。初めて家族を失う感覚を知った。
誤嚥性肺炎が治ってからだんだんと祖父の口数が少なくなり、表情も乏しくなっていたことは誰もがわかっていた。それでも生にしがみついて、おれは絶対に死なないぞとばかりに目をらんらんと光らせていた祖父。
その目が、閉じられた。
雨が降っていることも雷が鳴っていることも室内の蒸し暑さでびっしょりと汗をかいていることも気づかずに泣いた。
もっとお見舞いに行けば良かったとか、付き添っているときにもっと声をかければ良かったとか、そういう後悔と、ひょっとこのような顔をしておどける祖父や、入れ歯を外したしわくちゃの顔で笑う祖父や、孫自慢をする祖父の顔が何度も浮かんでは消え、どろどろとした暗い気持ちと晴れやかな思い出が絵の具のように混ざり合い、決して美しいとは言えない色で心の中を塗りたくられるようだった。
♦︎♦︎♦︎
祖父の七回忌を終えた年、わたしは第一子である長男を出産した。地元を離れて夫の実家がある関東へと引っ越していたが、里帰り出産を希望して、三ヶ月ほどの期間を慣れ親しんだ自分の実家で過ごした。
子どもが生後一ヶ月を迎え、里帰りを終えて数日が経った頃、少し不思議な夢を見た。
玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると祖父が立っていたのだ。その手には大きな魚が丸のままで抱えられており、出産祝いだという。
「こんなに遠くまで来たんだから、お茶でも飲んで行きなよ」
「いんや、もう帰る」
「どうして? だって、外は雪だよ」
子どもが産まれたのは、夏なのに。
引き止める声など聞かず、祖父は白い世界に紛れるように帰っていった。
亡くなってから祖父が夢に現れたのはこの一度きりで、母に語ると「それだけ曽孫が産まれたのが嬉しかったんだねえ」と微笑んだ。
蝉時雨の降る晩夏に見た、雪降る日の夢のお話――。
終
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