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ポタリ、と頬に落ちた冷たい雫でルーファスは目を覚ました。
包帯が巻かれた右手で黄金の髪をかきわけ、その深海の様な青の瞳で、闇を吸い込んだ洞穴の奥を見た。
そこには石畳に横たわっていて、隣には包帯を肩に巻いている黒髪の騎士のテオが岩の上に座っていた。重苦しい甲冑は脱ぎ、服にはところどころ血がついている。傍目にはルーファスより、少しだけ症状が重そうだ。
「ここは――……?」
「無事でよかったな。村の近くの隠れた洞窟のようだが……まだ敵が周りにいると思うから静かにしてろ」
テオがそう小さく声に出すと、年頃の少女がルーファスを覗いてきた。
「……君が助けてくれたのか」
ルーファスの言葉に少女は頷く。言葉はわかるようだ。質素な麻の服を着ており、ズボンをはいている。健康的に焼けている肌と髪の毛は赤混じりの黒だった。
「村の人たちを……助けられなくて……すまない」
その言葉に、少女の瞳が一瞬だけ揺らいだ。
ルーファスが指揮する第3騎士団は『貴族子息のお遊び』といわれるほど、弱小扱いだった。実力がなかったわけではない、十人並みだ。他に比べれば経験が浅すぎたという点もある。実力主義の平民騎士たちからの妬みと嫌がらせで、ルーファスの騎士団は脱退するものが後を絶たなかった。
近くの村人が狙われているから向かって欲しい、と残った十人で応援にかけつけたが――……そこにいたのは、すでにこと切れた村人の死体たち。
どうして、と思っていたところへ、とつぜん騎士団へと斬りかかってきたものがいた。誰かと見やると隣国の精鋭部隊五人だ。負けじと応戦していたが、やがて土煙が舞い起こり乱戦となり、気が付いたらここにという訳だった。
ルーファスが少女をじっと見ていると、やがて少女は口を開いた。
「あなたがたは運がよかったと思います。あの時、”土の風”が舞ってて、全員が視界を奪われてました。実力に差がありすぎて、あのままではお二人とも死んでたでしょうし……」
口調が大人びている。
少女に見えていたが、ただ背が低いだけで実際は17,18くらいかもしれない。
「そりゃ、実力不足は否めないけど、そうハッキリいわれちゃうとな。って、あの場にいたの? …‥って見てたってなんで? どうして君だけ生き残ってるの?」
ルーファスは少女に対して、立て続けに疑問を投げかける。
「村には高い崖があったでしょう? 私は成人の儀式中だったから………私だけ崖の上にいたんです。戻るときに村の異変に気付いて、茂みに隠れて上からのぞいてました……ごめんなさい」
「成人の儀式?」
「私たち村人は成人の証として、一人きりで数日間、狩猟しながら山にこもります。私だけが毒の水を飲まず無事だったのは、村にいなかったからです」
「なるほど……でも、それで、どうして俺たちを助けたんだい?」
このまま一人で逃げることだってできたのに、という言葉をかみ殺す。
毒の水?と疑問をかすめるが、ルーファスは一度流した。
「助けようと、もありますが……あなたがたが私たちの村を助けようとしてくれていたのは知っています。乱戦の中での村人たちを案ずるあなたの声を聴いたので……。それに、あの後、隣国の騎士たちが長の家に五人で集まっていて会議をしていたのも聴きました。全員、彼らが井戸に毒を放り込んで殺したのだといっていて……」
ルーファスとテオは顔を見合わせた。
「さっきもいっていたけど、毒殺?」
「ええ、あなたたちが殺したことにするといっていました。私たちの村人を残らず殺さないと、証拠隠滅にはならないでしょう? つまり私も、狙われているということです」
テオはようやくそこで、会話に参戦した。
「情報がその通りなら村には……もう、誰一人生きた人間はいないということになるが?」
「ええ。まだわずかに息のあった人も……きっと殺されたでしょう。でも、わたしは洞穴の近くに倒れていたあなたたちだけを、運ぶのがせいぜいで……」
「全員? 仲間は何人もいたんだ、シャルに、ブラフに、それに――……」
「他は誰もです、私たち3人だけ」
疲れているのか悲しみか、淡々と読めぬ表情で少女は語った。
「とにかく、どうしようか。このまま、ここにいても、奴らに見つかって、全員死ぬだけだな。俺が囮になるから――テオ、お前はこのお嬢ちゃんを連れて逃げろ」
「囮なら俺がなる。ルーファス、腐ってもこの第3騎士団の指揮官なら、お前が国へ帰って現状を報告しろ」
あっさりと返答すると、テオは長剣を持ち、洞穴の入口へと立った。
そこで、少女はテオの近くに駆け寄った。
「待ってください。……もう一度、戦いませんか?」
「なんだって?」
「私の名前はアテナです。私……あの方たちを許せません……。どうか、私にお二人の力を貸してもらえませんか」
「力を……?」
「そうです。彼らに……彼らを倒したいんです、だから、お願いします」
要するに復讐のコマになれ、ということだ。
ただ、ルーファスたちも仲間を殺されている。そのことを考えれば、話しに乗るのは悪い事ではなかった。
ルーファスはアテナを見やった。
「どうやってだい? さっき俺らでは実力不足だといってたよな?」
「絶対とはいえませんが、敵は5人。腕が立つといえども、一人一人撃破すれば、難しくはないと思います」
「って、簡単にいうけどさぁ……その分断が難しいんじゃないか」
「私やあなた方を殺すために、あちらは罠をはっているでしょう? それを、逆に活用しませんか。まずは、可能かどうかの作戦会議をしましょう」
そうして、アテナはにこりと笑った。
*****
長剣を携えたテオが立ち上がりルーファスの横に並ぶ。敗戦を重ね、残ったメンバーはたったの二人、そして村人の少女がひとり。
敵国の名だたる名将とその4人の騎士相手では、分が悪すぎた。賭けが今ここで行われていたなら、九分九厘のものがあちらの敵兵に賭けただろう。
「いやあ、女の子を守って死ぬ、ってのも案外悪くないかも」
ルーファスの軽口を完全に無視し、二人は村の入り口へと歩いていく。
「今の時期は夕方に”土の風”が再びきます。だから、風がくることがわかっていれば――」
「地の利を生かすということか」
テオのつぶやきに、アテナは頷く。そして、揺らせば簡単に鳴る罠の目の前に立つ。ルーファスたちはアテナとの会話を思い返していた。
「侵入者がきたら鳴る罠が村のあちこちに配置してあります。今回、相手側はそれを知っていて、村の内部へかいくぐってきています。でも、作動させたらどうなると思います?」
「そりゃあ、見に行くよなあ?」
「ええ、そうです。それならば、複数同時に罠が鳴ったら?」
その言葉に、ルーファスもテオもピンときたようだ。
「複数の場所で鳴ったなら、全員が各場所へと罠を確認しに行く……つまり、分散せざるを得ません」
「そこを、各個撃破というわけか」
「4か所同時にならせば、4人が外に出るハズです。最低でも一人は拠点に残すでしょう」
「でも、敵は5人だろ? 俺らは3人。ひとり、足りてない」
「ふふ、ですよね」
そう笑うアテナを思い返し、ルーファスは首を傾げた。
どうするつもりだろうか、アテナのいう通り、配置についたけれども。
2か所同時に罠が鳴ったら、テオとルーファスは目の前の罠を鳴らし、指定の場所へ移動したのち、撃破へ転ずる。
上手く、いくだろうか。
ルーファスは息を呑んだ次の瞬間、罠が鳴りだした。
2つ、同時にだ。
ルーファスも目の前の罠を鳴らし、やがてテオが鳴らしたと思う罠もなった。村の中央にある日時計へと走り出す。
アテナの宣言通り、敵は各自分散されたようだ。
そして、なにより――……
「きたな」
タイミングを見計らったように、村の中に土煙が舞う。
指定の日時計は、風が通りにくい場所なのか周りには土がなかった。
ルーファスが日時計の傍らで休んでいると、騎士の鎧の音が耳に届く。近くにいるが、相手も視界を奪われ、誰がどこにいるのか場所がわからないだろう。
「なるほど、考えたな……」
そして土煙の中にただ一つ、その風を切る音が一瞬だけ聴こえて、うめき声があがった。
どさり、と目の前に倒れ込んだ騎士はすでにこと切れていた。
その背中に刺さっているのは――……
「そうか、弓矢か!」
ルーファスは思い返した。そもそも彼女は”狩猟を”と、いっていた。
得意なハズである。必要なのは罠を鳴らせる4人、だが3人しかいないなら?
それで、アテナは弓矢を飛ばして4つ目の罠を遠くから鳴らしたのだろう。
ここからは見えずとも、上から俯瞰すれば恐らく敵兵の場所は把握できるとも思われる。 そう考えると、これができるほど、あっさりといいのけるほど彼女は弓が上手いのだろうとルーファスは考えた。
日時計の周りの土煙が止んだ時、目の前ともう少し先に騎士がもう一体倒れている。同じく首周りを矢で刺されてのであろう、そちらもすでに死んでいた。
「あと3人か」
ルーファスの近くに、アテナとテオが駆け寄ってきた。
予想通り、アテナは短弓を携えている。
「接近されると矢は撃てません。でも援護してくれれば矢で倒します」
アテナの言葉に二人は頷く。そうこうしているうちに、敵が1人この場に到着した。手慣れたように剣を鞘から抜くと、助走をつけてテオへと斬りかかる。
「くっ……」
剣を全身で受け、ざっと距離を取る。
十人並み、という剣技のテオやルーファスは油断すれば、易々と貫き殺されるであろう。
「いやあ、手負いのテオくんより、俺の方が絶対に楽しいよ。ってことで俺の番だ、代わってくれ」
ルーファスはテオの前へ出て、剣を構え片足を引く。
その一瞬の隙をついて、ヒュン、という音とともに騎士の腕に深々と弓矢が突き刺さった。
動揺した相手を目の前に、ルーファスは地を蹴り懐へと切り込む。深々と突き刺して、力を加えるとようやく騎士は息絶えた。
「――あと2人か、確かに勝てるかもな」
ルーファスの笑みが消え、真剣みを帯びる。
そういっていると、もう1人――、いや2人到着した。
「同時に!? しかも敵将かよ! ちょっとマズいかな」
「あちらとの力量差がありすぎて、敵1対こちら3でないと厳しいです。ルーファスさん、上着を脱いでください」
「りょうか……え、脱ぐの⁉」
ツッコミしながら、あっさりとルーファスは上着を脱ぐ。それを待っていたかのようにアテナは受け取り、矢じりの先端へと服を絡めた。
「足止めします。どちらか一人でいいので、迎撃できますか?」
「まあ、頑張るよ」
すらりとルーファスは剣を持ち直し、敵将はもはや目前だ。
ギン、と鈍い音が響きルーファスが剣で受け、とびかかるように後ろへと回ったテオが斬りかかる。敵将は籠手で受け流し、体制を整えた。
続けざま残った一人の敵は、テオへ斬りかかろうとしたが、アテナは弓弦をはじき、矢を飛ばした。カン、という音が響き鉄仮面の間に刺さる。鉄仮面の間には服も一緒に刺さっていたため、仮面の男は完全に視界を奪われ、よろめいた。
その隙をつき、テオは体当たりをし、敵を横転させると鎧の隙間から剣を突き刺した。
「あと1人」
テオのつぶやきを聴き、アテナはルーファスへと視線を移す。
すでに交戦激しく、敵将に浅く2、3か所斬られている。敵将の攻撃は重く、ルーファスは肩で息をしていた。将軍はそのルーファスの籠手を叩き割る。
続けざまの流れるような攻撃で、その大剣はルーファスの首をとらえていた。
そしてアテナは弓を引く。
ヒュン、という風と闇を切る音が聴こえた。
大剣がルーファスの首に届く直前に、ガランと落ちる。
将軍の能天には深々と矢が刺さっていた――。
*********
テオは自身の髪とよく似た、黒く炭へと化した荒野を眺める。
その少し先に対面するのは、近隣の町を荒らしているという数人の盗賊。
テオの肩にポン、と手を置かれチラリと横目で見る。ルーファスは満面の笑みだ。
「さて、雑兵程度なら俺たち3人で余裕で勝てるってさ。我が自慢の第3騎士団の戦乙女アテナがいうんだから、間違いないだろ」
「ああ」
「よし、こい! この近隣の令嬢に噂でモッテモテの――美形な貴公子ルーファス様が、お前らを一人残らず駆逐してくれようぞ!」
剣を構え、ルーファスの威風堂々と口上を述べる。
「……なんだ? あいつ」
対面した賊たち唖然とし、顔を見合わせる。
口上を無言で聞き流すかのように、テオは賊に斬りかかった。受け流すこともできず、あっさりと剣を弾き飛ばされ、賊に動揺が走る。
あれからどのくらいの戦闘を重ねたのだろう、今や近接で二人に敵うものはない。少し後ろのアテナが辺りを見回し矢を放つ。
「ま、待てよ。テオ、いつもお前ばっかり倒す敵が多いんだから。ちょっとは指揮官の俺に譲ってくれ」
そういって、ルーファスも斬りかかる。
「なにやってるんですか、ルーファスさん」
弓をつがえたルーファスの近くにいるアテナは、ため息をついた。遠距離ですでに3人の賊を葬っている。
「あああ、アテナ……俺、負けちゃうかも。負けるのは数でテオにだけど。頬にキスしてくれたら頑張って勝てるかもしれない。だから――……」
「……しません! 次にそんなことをいったら、凱旋門から吊るしますからね!」
第3騎士団は、やがて全土を揺るがす伝説の騎士団に変わり、アテナは勝利の女神の化身として話題になるのだが、それはまた別のお話しである。
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