血束〜bloody fate〜

1/1
前へ
/1ページ
次へ
月の見えぬ夜のことだった。 人も草木も眠る街の石畳を蹴る音が聞こえる。 走っているのは女だ。 白い肌に金糸の美しい髪を靡かせて闇の中をかけていく。 「…なんなのアイツ!なんなのよ!」 女は息を上げながらも速度を落とすことなく住宅街の入り組んだ道を縦横無尽にぬって行く。 時折背後を気にしているようなところから何かに追われているようだ。 細い路地から抜けた瞬間だった。 ドン、と何かにぶつかる。 女はぶつかった勢いでそれに抱きつくような姿勢になりながらバッと顔を上げて叫んだ。 「私追われてるんです!助けてください!」 「…それで?女性の叫び声が聞こえたから出てみたらこれがあったと」 よっこらせ、と立ち上がった壮年の男が背後に控えている若い男に確認する。 「はい、アレンローズ夫人の証言ではそうなりますね」 若い男が携帯端末を操作しながら通報内容を確認する。 ふうん、と壮年の男――ブレンダン警部が眼下にあるものを見下ろした。 アレンローズ夫人が手塩にかけつ育てたツル薔薇の花びらが散る下にくっきりと残るのは人の形の焦げ跡だ。 表の歩道とレンガの壁にもたれ掛かるように残る焦げ跡をブレンダン警部は深いため息をついて目をそらした。 焦げ跡だけがあり焼死体らしきものはない。 おそらくは悪戯の類いであろうと当たりをつけてブレンダン警部は乗ってきた車に戻った。 続いて若い男――部下のリード警部補が車に乗り込んできた。 二人は何も言わずに車は現場から離れた。 「最近の悪戯ってのはわけわからんな。ハロウィンでもないのに気味の悪いことをしやがる」 ブレンダンが呆れたように助手席に体を沈めるのをリードが疲れたような眼差しで、乾いた笑いを浮かべて見た。 「ほんとですね」 「人型の焦げ跡だなんて吸血鬼がやられた跡みたいじゃないか」 「おや警部、そういうのお詳しいほうですか?」 「いや、妻と娘が最近吸血鬼が出てくるドラマにはまっててな。リビングで見るもんだから自然と目に入っちまうんだよ」 「なるほど。受動喫煙みたいなものですね」 「受動喫煙、あぁくそそう言われると吸いたくなるじゃねえか」 「警部禁煙中でした?」 「禁煙中というかもう吸えるところないだろ。いまや国中が禁煙キャンペーンやってるようなもんだ」 「なるほど」 赤信号で車が止まる。 リード警部補がシャツの腕を捲って見せた。 「ニコチンパッチ、おすすめです」 「はっ、味気ねえ」 二人の元ニコチンジャンキーは憂うべき世を眺めながら署へと戻っていった。 結局、人型の焦げ跡の件に関しては悪質な悪戯ということで処理された。 その夜、仕事終わりにリードはブレンダンに飲みに誘われた。 週末のパブは喧しいが仕方ない。 注がれたエールを受け取り乾杯するとブレンダンはぼんやりとした目をリードに向けながらつぶやいた。 「お前さんと組んでまだ半年だが何でだろうな。もっと前からお前さんのことを知ってる気がするよ」 ぷはっとリード警部補が吹き出す。 「なにいってるんですか。そんなことあるわけないでしょ。俺は確かにあなたと知り合って半年ですよ」 「そうかぁ…?そんな気がしないんだがなぁ」 ブレンダンがじろじろとリードを見る。 リードは困ったような笑顔を浮かべながらやめてくださいよ、と言った。 「どなたか知り合いと似てるだけじゃないですか。ちょっと似てるだけでもそっくりと思い込むとき俺もありますよ」 ブレンダンはうーん、と首をひねっている。 「そうだなぁ、そうかぁ…」 そんなブレンダンを眺めながらリードはクスクスと笑った。 ブレンダンは先程よりも酔いが回ったのかどことなくふらふらとしている。 「そういやぁお前さん恋人はいるのか」 突然、余りにも唐突に尋ねられたリードは呆れた目でブレンダンを見た。   「なんですか?今そういうのコンプライアンス違反ですよ」 「はっ、こんな居酒屋での酔っ払いの戯言にコンプライアンスも何もあるかよ。で、どうなんだ?」 カウンターで熱烈なキスを交わすカップルを横目にリードは答えた。 「居ませんよ」 「結婚願望は?子供欲しいとかないのか」 「無いですね」 リードはくい、とエールを一息に呷った。 「警部今日は随分と酔いが回るのが早いみたいですね。足フラフラじゃないですか」 そう言われた瞬間、ブレンダンの体が大きく揺れた。 足がもつれているようだ。 「そんな、まだ全然飲んでないぞ」 テーブルにしがみつくように立っているブレンダンだがすでにその視界はぐるぐると定まらない。 「歳ですよ、警部も若くないってことです」 そしてブレンダンはついにまっすぐ立っていることもできなくなったためリードに支えられながら店を後にし二人揃って家路についた。 ブレンダン夫人にブレンダンを託し彼の家を後にする。 少し歩いて振り返るとけして大きいとは言えないが温かみのある雰囲気に包まれた家族の家があった。   それを見つめるリードの瞳には淡い光が浮かんでいた。 ブレンダン邸からさほど遠くない自宅への帰り道、それは突然のことだった。 夜風に混じってかすかに鉄さび臭い香りが漂ってくる。 リードは鼻をくんとやって臭いのもとを辿っていく。 臭いの出どころは町外れの廃屋からしているようだった。 リードは麻痺銃を構えたが、捜査過程を記録する小型カメラは作動させなかった。 そろりそろりと注意深くペンライトで内部を確認しながら進んでいくと先程より鉄臭い匂いが強く香りだす。 同時にある存在の匂いをも感知していた。 ギシギシと廃屋の奥へと進むとバスルームの扉が微かに開いていた。 リードは麻痺銃の焦点を定めるとバスルームの扉を足で開けた。 元は白かったであろうタイルはすっかり汚れていた。 経年劣化と、その上に横たわる女の死体から流れる血によって。 死体は白いシャツの胸をぐっしょりと赤に濡らしていた。 太い血管を食い破られたようだ。 今ここにいる存在によって。 「よお、随分と行儀が悪いな」 リードの声に弾かれたようにそれが勢いよく振り返る。 それはどこにでもいそうな若い男だった。 ごくごく普通の顔立ちにありきたりな容姿の。 しかし男の口の周りは幼子がミートソースパスタを食べた時のように真っ赤に染まっていた。  途端に男は食らいついていた死体を放り投げてリードに襲いかかってきた。 麻痺銃を発射するも躱され、ペンライトも落とした拍子に壊れたのかあたりは暗闇に覆われた。 若い男はガシャガシャと忙しなく散乱した家具を退けながらドアを目指す。 途端に男の足に灼けるような痛みが走った。 未知の痛みに男は混乱しながらも足を引きずりながら逃げようとする。 男のもう片方の足にも灼けるような痛みが走った。 「殺しの現行犯を見逃すわけにはいかないね」 家の奥の暗い場所から落ち着いた足取りでリードが歩み寄ってくる。 両手には何も持っていない。 しかし男はリードを見て震え上がっている。 「お前…吸血鬼か!?」 暗闇に真紅の昏い光が瞬く。 「吸血鬼のくせに同胞をやるのか!?そんなの許され」 「一緒にするなよ」 いつの間にか間合いを詰めていたリードが男の顔を蹴り飛ばす。 続いて仰向けに倒れた男の頭を安物の革靴が踏みつける。   「くっ、こんなの真祖様に知られたらただじゃすまされないぞ。真祖様御自ら」 苦痛にゆがむ男の顔を踏みつけながらリードは薄く笑って行った。 「真祖様御自らお出ましになられるか?願ったりかなったりだね。俺の狙いはその真祖様なんだから」 「は、はぁ!?」 男がありえない、と狂人でも見るかのような目で見上げた。 そして往生際の悪い言い訳を並べ始めた。 「なぁ、見逃してくれよ。俺だって好き好んで殺したわけじゃない、久しぶりで制御がきかなくてつい、これは事故!事故なんだよ!」 喚く男をリードの赤い瞳が冷ややかに見下ろす。 そして片手を銃のようにして男に向ける。 「一発」 指先から発射された血飛沫が男の心臓を穿つ。  男が鈍い悲鳴を上げた。 「二発」 「三発」 「四発」 「五発」 ドスドスと心臓に打ち込まれるたびあ男の体が揺れた。 もう男はぴくりとも動かない。 途端に男の体から青い炎が立ち上がり一気に男の全身を覆い尽くしたかと思えば男の体は跡形もなく炎とともに消え去った。 カーペットにはただ人の形のような跡が残っただけでリードはそれを吸い殻をもみ消すように足で消した。 そして未だ死体の転がるバスルームのほうに目を向けて、十字を切った。 貴女の魂の安らかにあらんことを リードはそのまま自宅へと帰りシャワーを浴びてベッドに潜りこむと深い海のような青い瞳を閉じた。 まぶたの裏にとある夜のことが浮かぶ。 いきなり路地から飛び出した女がぶつかるように胸に飛び込んできた。 「どうされました?」 「追われてるんです!助けてください!」 「落ち着いて、私は警察官です。息を整えて詳しい話を聞かせてください」 女はしばし体を震わせていたがすぐに落ち着いたらしく俯いたままぼそぼそと話し始めた。 「はぁ、はぁ、すいません。私、怖い人に追いかけられていて…」 「相手の特徴は?」 「えっと、くすんだ灰色の髪に顔はその、ううん説明しづらいわね……とりわけ特徴がなくって」 「よく言われるんですよ、特徴が無いって」 女が弾かれたように顔を上げる。 昏い赤が交差した。 翌日は非番だったのでリードは住んでいる町から少し離れた町にある大学へとやってきていた。 石造りの古めかしい大学の建物は古城のようだ。 中央にある園庭を囲むように校舎が建っている。 園庭には休んだり読書していたりと各々好きなことをしている生徒たちがちらほらいる。 目当ての人物はと言うと、木陰のベンチで友人等と談笑していた。 邪魔するのは悪いかと思い踵を返しかけると背中に声が掛かった。 「クレイグ!」 振り返るとベンチに友人らをのこして、女性が手を振りながら歩み寄ってくるところだった。 「リタ、すまない。邪魔したね」 「ううん、何も言わずに立ち去るなんて寂しいわよ」 ベンチに二人が戻るとリタの友人らが興味深げにリードを見た。 「その人は?恋人?」 歳の近そうな異性が親しくしていればそう思われるのも自然なことだ。 「まあそんなとこ。なんてね、ただの友達よ」 「本当にぃ?」 「そうよ、恋人といる時間なんてあの教授の下であると思う?昼夜問わず呼び出されるのよ」 「うわ、それ学長に報告したら?」 「いいのよ、私も好きでやってることだしね」 「変わってるう。さすがあのエルシー教授の一番弟子」 そういってくすくすと笑い合うリタたちをリードは穏やかな目で見つめていた。 友人らと別れ、リタはリードを連れてエルシー教授の研究室へとやってきた。 研究室内は本棚で支えられているのかと思うくらいに壁一面を本で覆い尽くされていた。 床に積まれた本の一番上にある本を手に取ると「ヨーロッパにおける怪物史」著者はマクガフィン・エルシー、ソーム大学考古学科教授とある。 「先生は今調査旅行でフランスに行ってるの」 リタが教授の机の上を片付けながら言う。 その背中を目で追いながらリードは口を開いた。 「リタ、君は本当は別にやりたいことがあったんじゃないのか」 いくらか申し訳のなさそうな声色のリードに対しリタはくすくすと笑った。 「何言ってるのよ、これは私が選んだことよ。いくら吸血鬼退治の専門家であるエルシー教授に預けられたからといってね。彼だって好きな道を行けと言ってくれたわ」 「私だって、ママの仇はうちたいの」 リタの目には真剣な光が宿っている。 リードはリタをそっと、しかし力強く抱きしめた。  「すまない」 リタはリードの腕の中でとても幸せそうな表情を浮かべている。 「あなた一人にすべてを背負わせはしないわ、パパ」 これはとある強大な困難に立ち向かわんとする人々の物語である。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加