【悲報】天女が羽衣をなくしたらしい。

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 土混じりの岩を踏み締め、俺はリュックを持ち直す。ふう、と一息ついて、ようやくたどり着いたのは『天女の聖地』だ。  かの有名な三保の松原ではなく、別の秘境。つまり、現地に向かっているのは俺以外は誰もいない。到着し、目の前に現れた光景は、一面が水鏡(みずかがみ)のようになっており、その水面には天空が広がり描かれている。息を呑むような圧巻の風景に、俺は見惚れずにはいられなかった。  写真を数枚撮影し、溜まりにようやく一歩足を踏み入れた瞬間に、その近くにあった大きな岩と松の木が視界に入った。  女性だ、こんなところに女性が一人で水浴びをしている。  白い襦袢(じゅばん)のような服をきて、胸から足まで小さな滝の水を伝わせていた。その白魚のような指からすり抜ける水、足にかけられた水しずくがポタポタと波紋を呼ぶ。幸いにも、というべきなのか透けてはいなかったが、あまりの神秘的な光景から、思わず遠目からその姿を撮影した。すると女性はシャッター音で振り返りそうになったので、無断では不味かったと、声をかけようとした瞬間に目の前にびゅう、と風が大きく吹きすさんだ。   「あっ」  小さな悲鳴が聴こえて、その視線の先を追う。すると白い布が大きな松の上にひっかかってしまった。女性ではそこそこの高さがある松の木から取るのは難しいだろうが、木登り程度はなんなくこなせる俺なら取れるかもしれない。松のかたわらでオロオロしている女性を尻目に、俺はするすると登り、すっかりタオルだと思いこんでいた白い布を取る。大きいが、妙に軽い。重さを感じない。そしてやたらにすべるような肌触りがいい生地だった。降りようと思った時に、枝に布がひっかかり、少しだけ裂けてしまった。  「あ」  マズイ、親切がかえって裏目に出てしまった。  「すみません、ちょっと破けちゃいました」  そういって、いろんな意味で気まずくなった俺はなるべく女性を見ないように白い布を渡した。すると―― 「な、なんてことを!」  女性が慌てて、俺からひったくるように白い布をとる。視界の端で、女性が白い布でまるごと体を覆う。女性の顔に対面して息が止まった。  ストレートに表現すると美人、だった。完全なる左右対称の彫刻のような顔立ち、白く透けるような素肌、唇は紅をさしたかのように赤い。ただ、残念なことに文字通り女性は柳眉をさかだてていた。  「や、破けたって……それで済むと思ってるの!? 天に帰れないじゃない!」  「てん……」  テンとはなんだろう。女性が住む家だろうか、テントか何かかだろうか?  よくわからず、その場を立ち去ろうとすると、女性にぐい、とリュックを引かれた。  「ちょっと待って! あなたのせいで私が帰れないでしょ! どうしてくれるのよ、責任とりなさいよね!」 出会いはこんな感じであった。 かくしてこの女性、そう、名前は結衣(ゆい)と名乗ったこの彼女は、今まさに俺の部屋のソファーでふんぞり返っている。  とりあえずこれでも、と差し出した桃の果汁が入った天然水が気に入ったのか、ごくごくと飲み干したのち、「もう一杯ちょうだい!」と催促される。  結衣は天女だといった。いくらお前が人外美人でもそんなわけあるか、と全力で心の中で俺は突っ込んだ。が、口には出さない。いくら秘境の地で水浴びをしていた女がいたからって、おいそれと信じるわけにもいかない。ただ、まあそれにしては、あんな場所で軽装すぎる点は気になるが。  それと結衣は何もしらなかった。蛇口の捻り方、テレビ、スマホ。断絶した世界からきたのか、演技なのか、わざとなのかはわからなかったが。水で濡れた襦袢では風邪をひくだろうとブカブカだったが俺のTシャツを貸してやり、ようやくそこで話は落ち着いた。  「破れたところを直してもらうまでは、怖くて飛べないわ」  そうしてやっと俺は、結衣がいっていたテンが”天界”ということに気が付いた。白い布は羽衣で、それで空を飛ぶのだという自称天女の主張だ。  「なんとかしなさい、下界の下々の人間」と称していたのが少々気になるところだが、これも心の中で何様だお前、と突っ込んだ。    「下界の下々の人間ではなく、山崎だ」  無礼な女なので、俺もタメ口へと変える。とたんに眉をひそめられた。怒られるかと思ったが――    「山崎、それで羽衣をどうやって直すの」  「俺じゃ縫えないから、縫える専門店に持っていくつもりだ」    ふん、と鼻をならし了承してくれた。今日は遅いし、明日の会社帰りにでもミシン屋に持ち込もう。修繕したら、この妙な女も出ていくだろう、と俺は当たり前だがソファーで、ふかふかの環境を整えた俺の最強のベッドで結衣は堂々と眠りについた。 ********   翌朝、結衣はこういった。  「昨夜考えたのよ。そんなこといって、私の羽衣を奪って、天へと帰すつもりがないんでしょう!? これだから人間って疑わしいのよ。本当に修理するのか、わからないじゃない」    という主張のもと、俺は結衣を会社へ連れて行く。というか、無理やりついてきた。  仕事中コレ、いや、結衣をどうしよう、待合室かロビーで待ってもらえればいいのだろうか。面倒になって有休をとろうかと考えていた時に、同僚の原田が俺へと声をかけてきた。  「山崎!? なんだ、お前……そのトンデモ美人は。まさかお前の彼女か!?」  「違う、そうじゃなくて」  そこまでいったところで、原田はポン、と思いついたように手を叩く。  「そうか、彼女のワケないよな。ってことは、とうとう見つけたのか! 広告モデルだな!」  その言葉に、俺は思い出した。そうだ、会社のwebサイトをリニューアルするにあたって、モデルを探していたのだ。うちの会社はウォーターサーバーを扱っている。広告写真とモデルをセットで探していたんだ。俺が秘境の地へいっていたのも、その撮影のためだ。ナイスアイデア、とばかりに原田の肩を俺は叩く。  「彼女は結衣。俺らの会社のモデル候補だ」  「結衣ちゃんか。即採用だろ、こんな美人。ところで彼氏いる? 俺なんてどう?」  光より早く、原田は爽やかな笑顔で口説く。結衣はぐいっと近づかれたのが不愉快だったのか、俺の背にさっと隠れてひっそりと耳打ちしてきた。  「山崎、どういうこと」   「あとで説明する。とりあえずこの場は話を合わせて」  俺の返答に、結衣はぎゅっと背広をつかみ頷いた。原田は気にせずといった様子で話しかける。  「仕事は何してるの? モデル? 大学生?」  「天女」  「てん……にょ?」  「……そういう設定だ」    俺の言葉に原田は、大きくうなづいて察してくれたようだ。    「じゃ、天女の結衣ちゃんには、俺が会社を案内しようかな♪」    原田の押しっぷりがイヤだったのか、結衣から視線で助けを求められた。あれだけ昨日は俺に対して強気だったのだがな。なぜか原田は苦手そうだ。  「いや、まだちょっと話合うこともあるし、俺が対応する」  不満げな原田を置いて、俺らは別室へと移動する。ひとまずガラスの会議室へと連れて行き、待ってもらってパソコンを取りにいく。戻ってきたら、壮絶な美女をみたいという輩でごった返していた。担当を代わってくれ攻撃にもみくちゃにされながら、なんとか会議室へと入り込み、パソコンを開き仕事を再開する。  「私からすれば、下界の人間の方が珍しいのにね。特に天界は……男性がいないのよ」     結衣はガラス面にはりつく男性どもを、妖艶な笑みと共に一瞥する。  「すごい騒ぎだが、まあ……とりあえず今日をしのげれば、いいかな」    俺は思わず頬を掻いた。モデルと契約しようとしたが互いに条件が合わなかった、とかで説明すれば大丈夫だろう。仕事を午前で切り上げ、結衣とミシン屋へと向かった。ミシン屋は早々に縫い付けてくれ、修復は完了だ。  結衣へと手渡し、二人でさっさと水鏡の地へと向かう。結衣は俺へと手を振ると、あの時の襦袢をまとっていた。ふっと羽衣をまとい、笑みを浮かべる。その(なま)めかしさに思わず、俺の頬は西日よりなお赤くなっていたと思う。  「天女は一年に一度だけ、下界に降りてきて水浴びをしてもいいのよ。今回は少しだけ楽しかったわ、山崎」  そういって、結衣はふわりと浮いた。  そう、浮いていたのだ。  今のいままで、疑心暗鬼だった。  けれど、結衣はなんの仕掛けもなく、ただ一人で……こぶし一つほどの高さ程度、地から浮いている。  「本物の天女か」  「そういってるじゃない」  人外の美しさなハズだ。信じなかった自分を恥じたが、仕方あるまい。この世ならざるもの。これでもう二度と会うこともないだろう、「俺も少し楽しかったよ」と返した言葉に結衣は目を細める。行ってほしくない、という気持ちが心の奥底から少しだけ湧き出てきたが、我慢する。  いよいよ2、3メートル浮き、少しずつ結衣は浮きあがっていく。だが、2階ほどの高さに上がった時に、大きくバランスを失った。糸が切れた人形のように落下する。  急激に落ちて――待て、その高さから? 嘘だろう?  「結衣!」  慌てて、走り空から落ちた結衣を両腕でキャッチする。勢いあまって――いや、日頃鍛えていないからか、そのまま重みで地面へと俺の両腕はついた。じんじんと痛んだが、幸いにも骨は折れてはいないようだ。何が起こったのかわからず、結衣は茫然としていた。  「結衣、怪我は!」  俺の声かけにびくりとして、首を振る。抱き起こし離れると、水鏡が赤く染まっていく。キャッチしたときに少しだけ岩で切ったのか、俺の両腕から血がでていたようだ。それを見た結衣は顔色を真っ青に変えていった。  「山崎……」  「気にするな、無事でよかった」    受け止めなければ、下手をすれば死んでいた。それだけをいい、俺たちは家へと帰っていった。どうして飛べなかったのかわからないままだ。羽衣は、一度でも破れていたらダメなのだろうか。なにより結衣は静かに黙りこくったままで、その日は終わっていった。 ********  「今日は結衣ちゃんいないの?」  原田はぶつくさと俺に文句を垂れてくる。心が弱っていそうなので、どう転ぶかわからない。そういう意味で、一人にしてもよかったのだろうか……。そう考えていた俺の肩がポンと叩かれる。誰かと思うと、社長だった。  「山崎くん、聞いたよ。美人モデルが決まったそうじゃないか。昨夜、君が送ってくれたデジカメのデータを確認したが、素晴らしい。どこで見つけたんだね? あの子でいいじゃないか。いや、もうあの子しかいない」  そういえば、最初にあったときにシャッターを切ったことを思い出した。そして、画像は会社のクラウドに自動転送される仕組みだったのだ。  「はあ、でも条件が合わず……ダメでした」 社長が眉根をよせ、俺が苦笑いをしていると、ざわめきがどこからか聴こえてきた。なにごとかと社長と俺がいぶかし気にしていると、目の前に立ったのは、結衣だった。  「山崎くん、なんだ。今のは冗談だったのかね。それで、いつ撮影するのかね?」  「これから、打ち合わせします……」  俺は結衣を連れ、再び会議室へと移動する。泣き出しそうな結衣をなだめ、とりあえず家に帰ろうと説得した。  「帰る、ってなに? 私が帰りたいのは天界よ」  「心配するな、天界へは必ず帰してやるから」    俺の言葉は気休めかもしれない。そもそも天界がどこにあるのかも、飛行機とかでいけるのだろうかとか、どうしたって羽衣以外では行けないのかも――わからなかった。だが、このまま、絶望に打ちひしがれている結衣を見続けるのは耐えかねた。  涙を目にため、結衣は頷く。ひとしきり涙をぬぐった後で、お礼にできることはないかといわれた。できること、できること?  「撮影に、協力してくれないか」  いわれるがまま結衣は衣装を着せられ、ポーズをとる。笑えといわれても笑えず、ずっと沈んだ表情をしていた。ただ、その憂いを帯びる姿がより社長の広告イメージに合っていたのか、そのまま採用された。男性陣は誰もかれもが結衣へと話しかけるが、ぼんやりとした表情のまま、生返事ではあったが。  広告を出すなり、大盛況となる。あのモデルは一体誰だと騒ぎとなり、結衣を外にあまり出せなくなってきた。その後、何度試しても補修した羽衣では飛べないままで、時だけが過ぎていく。結衣に申し訳ない気持ちだけが募る。  数日過ぎたころ、その事件は起こった。玄関先に、美少女が立っていたのだ。結衣と同じような襦袢を着て、羽衣をまとっている。間違いない、天女だ。この場合は天幼女、というべきか?    「お姉さまを迎えにきました」  聞けば結衣の妹だという。面影はとても似ている。妹とやらは、あまりに戻らないので、結衣を心配になって探したそうだ。念のため予備の羽衣を持ってきたらしく、それを結衣に手渡す。  「わたし……帰れる、の?」  安心しきったのか崩れ落ちるように妹に抱きつきながら、結衣はつぶやいた。  「よかったな、結衣」  俺の言葉に、こくこくと大きく頷く。  「今度こそ、帰れるさ」  俺の言葉に、結衣は再び――わあっと、大きく泣いた。帰りたかった、天界へ戻れる、俺も少しだけ涙ぐんでしまった。  「今までありがとう、山崎」  結衣を見送るため、水鏡の地へと俺たちはきていた。 以前の落ちたことがトラウマになっているのか、宙に浮けることがわかっても、風が強くふくと蘇る恐怖に結衣の肩は震えた。 「いままで、飛べて当たり前だったから……怖いわ。本当にちゃんと飛べるのかしら」 「大丈夫だ、飛べる。帰るんだろ? よかったら……またこいよ、お前が気に入っている桃の果汁が入った飲み物を用意しておくからさ」  俺の言葉に、今度は少しだけほほ笑む。 「また、前みたいに落ちたら?」 「羽衣だって、やぶけてない。今度は絶対に落ちないさ。万が一落ちたら、またキャッチしてやるさ」  内心ハラハラして声は震えていたが、気持ちは伝わったかもしれない。 「……ありがとう」  そういって、結衣を握手をする。「またな」と、いった瞬間に、結衣がなにかいいたげな顔をした。けれど、何も結局いわぬまま、天へと吸い込まれるように舞い上がっていく。破けた羽衣だけが手元に残り、小さく結衣と妹は消えていった。 ********  一年後、俺は何度目となるか、天空の水鏡の地へときていた。  約束通りの桃の果汁が入ったペットボトルの天然水を持ち、大きな岩に腰かける。 誰もいない、ここへは度々きている。結衣が去ってから、そろそろちょうど1年経過だろうか。誰もいないのは、いつもの見慣れた光景だ。  いつか会えた時のために、差し入れとしてもってきたけれども。飲む相手がいないというのは、寂しいものがある。  ぼんやりと夕方までその場で過ごす。いまでも天界で元気だろうか、笑っているのだろうか、と空を見上げた時に、びゅう、と強い風が吹いた。  ふいに視界を飛ぶ白い布が現れ、とっさにそれを掴もうと思った。手から白い布はすり抜け、遠い山の彼方へと消えていく。見たことがある、あの白い布。  振り返った時に真後ろに女性が立っていることに気が付いた。    ――女性、女性?  「結衣……」  いまのは、いま飛んでいったのは羽衣じゃないのだろうか。あれがないと、お前は帰ることができないんじゃないのか。  何してるんだ、と文句を言おうと思っていたら、上目遣いで俺を睨むように立っている。なぜか、あちらが怒りの優位にいるような、雰囲気で。 「な、なんで怒ってるんだ……!」 「一年間、ずっと考えていたのよ。下界も楽しかったわ、山崎。桃のその水もおいしくて、あなたといるのは案外悪くなかった。会社の人たちだって、いい人たちだし。人間、って捨てたもんじゃない」  そういって、結衣は強い瞳で俺を見た。 「もう一度だけ、会おうと思って」  結衣はゆっくりと首を振る。 「惜しくなるから、今回いなかったらもう二度とくるつもりはなかったの。けど――……」  一歩、また一歩と俺に近づいてきた。 「山崎、あなたがいると思った瞬間に……」  頬から伝う涙が落ち、水鏡の波紋が増える。 「わたしは羽衣を、飛ばしてしまったの。ええ、そうよ……わざとよ」  結衣は俺の手を取った。 「どう? これで私は帰れなくなったわ……。これは、あなたのせいよ。だから、きちんと責任……とりなさいよね」  泣き笑いをする結衣。 俺はつんと鼻の奥に痛身を覚えながらも、小さく頷いた。
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