愛妻家Tは事故死後も妻を見守る

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 司の死から数十年後。  紗那は、夫と暮らしていたところから数百メートルほど先の閑静な住宅街の一角に居を構え、一人で小さな雑貨店を営んでいた。  夫が亡くなって以降も、再婚はしていない。  まだ二十代だった頃は、心配した笹倉があれこれ世話を焼いてくれ、時には、見合い話を持ち込んでくれたりもした。  だが、どうしても乗り気にはなれず、悪いと思いながらも、全て断ってきた。  特に無理をしていたわけではない。意地を張ってきたつもりもなかった。  ただ、司と過ごした日々が、紗那にとっては何よりも大切で、かけがえのないものだったから。  他の誰かと新しい関係を築いて行くことが、想像すらできなかったのだ。  一人で店を切り盛りして行くのは、大変ではあったが。  好きな物ばかりに囲まれているので、辛いとは思わなかった。  それでも、疲れが溜まった時などは、司が遺してくれたオルゴールをそっと開き、トロイメライの美しい音色に耳を傾けた。  そうしていると、いつの間にか心が静まり、温かなもので胸が満たされて行く気がした。  司は、今も紗那の中で生きている。  彼との思い出が詰まったオルゴールは、彼の魂そのものなのだ。
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