愛妻家Tは事故死後も妻を見守る

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 その日。  閉店時刻まで数分を切った、誰もいない店内で。紗那は、司からのプレゼントであるオルゴールを聴いていた。  今日はもう、客は来ないだろう。  すっかり気を抜き、オルゴールの奏でる旋律に意識を集中させていたからだろうか。一人の客が店の前に立ち、じっと店内を見つめていたことに、紗那は気付かなかった。  カランコロン。  ドアベルの音が鳴り響き、紗那はハッとして顔を上げた。  そこには小学生くらいの男の子が立っていて、彼女にニコリと微笑み掛けてきた。 「ご、ごめんなさいね、気が付かなくて。――いらっしゃいませ。今日は、どういったものをお探しですか?」  慌ててレジ横の椅子から立ち上がり、男の子の笑顔につられて笑い掛ける。  しかし彼は何も言わず、微笑みをたたえたまま、紗那の顔を見つめるばかりだった。 (どうしたのかしら?……もしかして、店の者がサボっているなんてと、呆れられてしまった……?)  あと数分で閉店とは言え、店のドアノブに掛けられた木札は〝営業中〟だ。サボっていると思われても無理はない。  孫ほど離れた歳の子にとがめられている気がして、恥ずかしくなった紗那は、慌ててオルゴールの蓋を閉じた。 「本当にごめんなさい。まだ営業中なのに。サボっていると思われちゃったかしら?」 「…………」 「あのね、このオルゴールは――」 「それ、『トロイメライ』だよね?」 「えっ?」  ずっと黙ったままだった男の子から、唐突に訊ねられ、紗那はギョッとして固まった。  男の子はまっすぐ紗那を見つめ、念押しするように訊ねる。 「今聴いてた曲。『トロイメライ』でしょう?」  紗那は目を丸くし、戸惑いながらもうなずいた。 (トロイメライなんて、よく知ってるわね。クラシックが好きなのかしら? それとも……何か楽器でも習っているとか?)  ぼんやりと考えながら、紗那はオルゴールを元の場所に戻す。  男の子はキラキラと目を輝かせながら、 「僕、大好きなんだ『トロイメライ』」  弾んだ声で告げた後、可愛らしくニコリと笑った。
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