愛妻家Tは事故死後も妻を見守る

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 青年は片手で彼女の手を握り、もう片方の手で、そっと彼女の頬に触れた。  若い頃に比べたら、かなり年月の経過を感じさせる、乾いた肌の質感。シミはそれほど目立たないが、シワは深く刻まれている。 「頑張ったね、紗那。俺がいなくなった後も、たった一人で。本当によく頑張った」  青年の瞳から、自然に涙があふれ出す。  彼は穏やかな笑みをたたえたまま、彼女の手を強く握った。  ――その時。  紗那がうっすらと目を開いた。 「紗那!」  名を呼ばれ、彼女はゆっくりと、声のする方へ視線を移す。  目の前には、どこか懐かしくも感じられる、青年の姿。  姿形は、全く違う。  それなのに、在りし日の夫の顔が重なって……。 (ああ……そう。そう……だったの)  ぼんやりとした意識の中で、彼女はようやく青年の正体に気付く。  彼がトロイメライを知っていた訳も。  ずっとずっと、店に通い続けてくれていた訳も。  そして今、『紗那』と名前で呼んでくれた訳も……。 (そう。そうだったのね。やはりあなたは……いつも私の側にいてくれた――)  紗那は美しく微笑むと、微かに口を動かし、再び眠るようにまぶたを閉じた。  声は聞こえなかったが、青年には理解できた。  最後の力を振り絞り、彼女はこう言ってくれたのだ。 (ありがとう)  青年は首を横に振ってから、深く頭を垂れ、小刻みに肩を震わせた。  数分後。  彼はおもむろに立ち上がり、彼女の耳元に口を寄せると、 「次はいつ会えるかな。……楽しみにしているよ、紗那」  そっとささやいて、ナースコールに手を伸ばした。
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