愛妻家Tは事故死後も妻を見守る

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 紗那がカーペットの上に座り込んでから、数十分ほどが過ぎた。  見守ることしか出来ない司は、だんだんと不安になって来ていた。 (どうしよう。さっきから、ピクリとも動かない)  まるで、紗那の時だけが止まってしまったようだった。  ぼうっと、焦点が定まらないような表情で、カーペットの隅を見つめている。  司はハラハラしながらも、ひたすら紗那を見守り続けた。  自分はここにいると、伝えたくて仕方がなかったが、幽体では、物に触れることさえ出来ない。  ましてや、声を届けることなど、できるはずもなかった。 「紗那――」  彼女には届かないとわかりつつ、司が声を発した時だった。  紗那はすっくと立ち上がり、 「さ、夕食の準備をしましょ!」  胸の前で両手を打ち合わせ、ニコリと笑って宣言した。 (……え?)  今度は司が呆然とし、ゆるゆると振り返る。  そこには、まるで吹っ切れたかのように鼻歌など歌っている、紗那の後ろ姿があった。 (紗那……?)  戸惑いつつ後を追うと、彼女はリビングからキッチンへと移動し、冷蔵庫を開けた。  数秒ほど食材をチェックし、満足げな笑みを浮かべる。  次に、冷蔵庫側面のマグネットフックに掛けてあるエプロンを外し、素早く身に着けると、慣れた手つきで夕食の準備を始めた。  司は呆気に取られながら、紗那の後ろ姿を眺めるばかりだった。  先ほどまでの、魂が抜けたかのような状態とは打って変わり、テキパキと動き回り、手際良く料理をこなしていく。  その姿は、普段通りの彼女と、何ら変わりなく……。 「はい、出来ましたー! さあさあ、熱いうちに食べちゃいましょ」  司が呆然としている間に、テーブルの上には数品の料理が並べられていた。  紗那は箸を手に取り、満面の笑みを浮かべる。 「いただきまーす!」  紗那は明るい声で手を合わせると、目の前のおかずに手を付けた。
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