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彼女に触れたときは、体温を感じた。明らかに違っている。
順に上半身を確認していく。
胸は膨らみはなく固いので、男性。
首筋の動脈に指先を当てるが、脈を打っている感覚はない。
――死んでる。
俺は大きく息を吐いた。
暗闇で、死体の顔に触れるのは抵抗があった。
だが、思い切って顔を触る。
肌はザラついて油ぎっている。続いて、頭部に手を当てた。
「うわっ!」
「どうしたの!?」
俺はヌメッとした何かに触れ、無意識に手を離した。
「手に何か付いた」
鼻に近づける。鉄っぽい匂い。――これは、血だ。
「ここに横たわっているのは男性。既に亡くなっている。頭には毛が少ない。中年以上の男性だと思う……あと、出血している。それが死因か分からない」
「し、死体。頭が薄い……死体。いやーーーーー」
彼女がまた、叫び声を上げた。
「教授よ!! はっきり思い出せないけれど……間違いない!!」
なだめるが、パニックになった彼女の耳には届かない。
「く、苦しい……」
散々、叫び声を上げたあと、床に人が倒れる音がした。俺は手探りで彼女を起こして、膝に寝かせた。
「ぐ、ぐぐっ……」
彼女の喉から変な音がした。顔の辺りに耳を近づける。
――パニックで息が止まっている。
口元に手を当てた。
空気の流れがない。
「落ち着いて!」
気持ちが静まれば、自力で息ができるはずだ。彼女に語り掛けるが改善しない。
……2分くらい経っただろうか。
彼女の体がガクガクと震え始めた。
酸欠で痙攣を起こし始めたのだ!
「仕方ない。失礼します!」
俺は大きく息を吸ってから、彼女の唇に口を合わせた。
そして、力いっぱい息を吹き込む。1回、2回……。
「ぐへっ、ゴホゴホ」
何度か咳払いをした彼女は、息をし始めた。俺は安堵する。
「死ぬかと思った」
「痴漢だとか、言わないでくださいね」
冗談のつもりだったが、笑い声は聞こえなかった。
「死の淵をさまよっているとき、思い出したの。ここは研究所。亡くなったのは教授。ニューラルネットワークの権威、森田教授。そして、あなたと私は研究員。私たちはここで、何かの実験をしようとしていた」
「……実験?」
「それが、思い出せないの。もう少しってところで意識が戻ってしまったの」
手がかりは得られたが、何が起こり、どうやったら出られるのかまでは分からない。
それから、俺たちは手探りで室内の調査を行った。
恐怖体験を乗り越えたおかげか、妙に冷静に作業をこなすことができた。
「分かったことを、まとめよう」
壁際に腰を下ろして、ペットボトルの水を口に運んだ。調査中に見つけたものだ。
「ドアは1つだけ。番号入力で開く方式。パスワードは不明」
「部屋の中央には医療用ベッドがあって、医療器具も多数ある」
「匂いがする気体が、漏れ続けている」
ラベンダーと線香の混じった匂いがする気体が、ボンベから漏れていた。ボンベにはバルブが見つからず、止め方は分からない。
「気体について思い出しかけたけど……もう少しのところで、目が覚めてしまった」
彼女が溜息をついた。
「死の淵をさまようと、記憶が戻るのかな?」
「もう一度、やれと? 勘弁してほしいわ。死ぬかと思ったんだから」
「俺は無呼吸症候群だから、寝ている間、息をしてないようなもんだ。ははは」
……ん?
俺は自分の発言に引っ掛かりを覚えた。
目覚めたときのことを思い出す。
俺も、何かを思い出そうとしていたではないか……そうか!
「記憶を取り戻す方法が分かった! 息だよ、息!」
「息? 意味が分からないんですけど」
「部屋を満たす気体が記憶を曖昧にしてるんだ。気体の効力は強くない。吸い続けていないと効果はない。だから、息が止まった状態、つまり、気体を吸わない状態が続けば、脳がもと通りに機能して記憶が蘇る」
「それは一理ありそう。気体の放出が止められればいいんだけど、方法が分からない。だとすると、手がかりを得るには……」
脇に座る彼女が、俺の肩をパンパンと叩いた。
「俺がやるのか?」
「息しないの、慣れてるんでしょ」
彼女が息をしなかった時間を思い出す。
「2分……いや、もしかしたら3分以上、止めないと、思い出せないのかも。頑張り過ぎると、酸欠で意識を失う」
「今度は、私が人工呼吸をしてあげるから大丈夫」
彼女の容姿は思い出せないけれど、女性とキスができるなら悪くないか。
「床は嫌だな」
「じゃあ、ベッドでやりましょう!」
光明が見えたからか、彼女の声は弾んでいた。
俺たちは部屋の中央にある、医療用ベッドに移動した。
横たわると、ミシッと骨組みがきしむ音がした。
「このベッド、変だわ。拘束具がついてる」
「拘束具?」
「ベッドに人を固定するもの。あなた、拘束されてみたい?」
冗談のつもりだろうが笑えない。
「もし、俺が危険な状態になったら――」
「分かってるって。私は医者よ。あれ、そうだっけ? そんな気がするだけかも。ともかく、任せてちょうだい」
彼女が俺の手を握ってくれた。恐怖感があったので、ありがたかった。
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