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月島が運ばれてくる前に、教授と交わした会話を思い出した。
「検体が暴れて手が付けられない場合は、これを使おう」
教授が白衣のポケットから取り出したのは、注射器のようなものだった。
「体に突き立てると、針が飛び出して薬剤が注入できる。体のどこでもよい。牛くらいなら簡単に眠らせられる、強力な鎮静剤だ」
教授は、ベッドの下に医療用のテープで鎮静剤を固定した。
その会話をしたのは、月島が連れてこられる前だ。
これは使える……いや、これしかない。
室内を調べるふりをして、鎮静剤を手に入れることは可能だろう。問題はそのあとだ。月島を引き付けて、確実に打ち込む必要がある。
視界ゼロで、どうやればいい?
奴は目が見えているし、武器を手にしている。
名案が……浮かばない。
「うーん、寝心地、最悪」
彼女が目を覚ました。固い床の上なので仕方がない。
「ベッドがあるじゃない、忘れてた」
……そうか、これは使えるぞ!
「ベッドは譲ります。連れて行ってあげますので、立ってください」
手探りで彼女の両手をつかんで立たせた。ベッドの位置は把握できている。
「落ちないように気を付けてください」
彼女がベッドに乗るのをサポートする。
「不安になるから、近くにいてね」
その言葉を切っ掛けにして、俺はベッドに上り彼女に馬乗りになった。
「キャ!! 何するの!!!」
「こうするんだよ!」
大げさに声を上げると、彼女に覆いかぶさり自分の口で彼女の口を塞いだ。キスをしたのだ。
彼女の足元で何かが倒れる音がした。ベッドわきの小テーブルを蹴ったのだ。上に乗せられていた医療用品が床に散らばっただろう。
ナイスだ。俺は内心で彼女を賞賛した。地面に何かが落ちていた方が、月島の接近を音で察知できる。
「やめてください!!」
美和は、両手で俺を持ちあげた。
第一段階、成功。
俺は右手に掴んだ「それ」の感触を確かめた。美和に覆いかぶさったときに、ベッド下に張り付けていた鎮静剤を手に入れることができた。
ここからが本当の勝負だ。
「危機に直面した男女は、こういったことをするらしいですよ。俺はもう、性欲が抑えられないんです!」
「不同意性交っていうのよ! あとで、逮捕されても知らないから!!」
叫び続ける彼女を無視して、俺はゆっくりと自分の顔を、彼女の顔へと近付けた。
「この部屋に凶悪犯が潜んでいます。俺を信じて演技をしてください」
小声でささやくと、突き放そうとしていた彼女の腕から力が抜けた。
賢い女性だ。短い説明で、状況が理解できたのだろう。
「胸を確かめさせてもらうか。見えないのは残念だが、感触は楽しめる」
すみませんと内心で謝罪しながら、服の上から胸を揉んだ。
これも、月島を引き付けるためだ。「んっ」と色っぽい声が上がる。
「見た目よりも、大きいですね。Dカップはありそうだ」
異常な嗜好を持つ月島は、絶対に近付いてくる。
まだ、気配を感じない。
奴を引き寄せるのには刺激が足りないか。
「直接、拝ませていただこうか」
俺は服を引き裂いた。手触りでブラジャーがあるのが分かった。その下に手を入れてずらした。
手のひらに柔らかい感触……しかし、興奮している余裕はない。
奴には、露わになった胸が見えていることだろう。
カシャ……ベッドの右側で何かを踏む音が聞こえた。
来た!!
まだだ。
チャンスは一度しかない。引き付けろ!
俺は彼女の胸を荒く揉みしだいた。
彼女は「やめて」と声を絞りだした。
そのとき、右側で荒い息遣いが聞こえた。鼻から息が漏れる音。
近い!
「そこか!」
俺は、右手に握っていた鎮静剤を突き出した。
「うぐっ!!」
人間に突き刺さる感触が、手に伝わる。
「くそっ! 二人とも殺して――」
月島の言葉は、最後まで発せられることはなかった。
ドサッと床に人が倒れる音がした。
* * *
「責任、とりなさいよ。私の胸を、あんなに揉んだんだから」
「許してください。おかげで、月島を倒すことができたじゃないですか」
数日後、俺は美和と喫茶店で落ち合った。
「やっと、取り調べが終わったわね。疲れた。葉山君の方は?」
「何度も同じ説明をさせられて、飽き飽きです」
俺は、やれやれと両手を上げた。
「あの気体、どうなるの?」
「副作用が強すぎるので、開発中止です。妥当だと思います」
運ばれてきたホットコーヒーにミルクを入れて、スプーンでかき混ぜた。
「ああ、まただ。やはり、開発中止が妥当ですね」
茶色いコーヒーの液面に、長い髪の女が映っていた。
美和ではない、別の誰か。
俺がコーヒーカップを指さすと、彼女が覗き込んだ。美和は「ヒッ」としゃっくりのような悲鳴を上げた。
「あなたにも見えていて、よかった」
「葉山君、後ろ……」
今度は、美和が俺の背後を指さす。
振り返ると、今度は俺が悲鳴を上げる番だった。
そこには、顔の右半分がグチャッと潰れた、血色の悪い男が立っていた。
「この副作用は、伝えてあるの?」
「言えるわけないじゃないですか。誰も信じやしませんよ。副作用で……霊的なものが見えるようになったなんて」
「副作用を治せる薬、早く開発してちょうだい」
事件の翌日から、何かが見え始めた。
最初は1体だけだったが、日増しに増えていった。
見えているのが俺だけだったら、気が狂っているところだ。
「がんばりますが、過度な期待はしないでください」
俺は、液面に何も映っていないことを確認してから、コーヒーを口に運んだ。
(了)
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