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「ねえ、お母さん。どうしてお月様は真ん丸になったり細くなったりするの?」
すっかり暗くなった家への帰り道、ふと月の満ち欠けという概念に気付いたらしい幼い娘が、白い月とわたしの顔を交互に見上げて、どこまでも続く黒い夜空を指差す。
「あら、果乃はどうしてだと思う?」
「うーんとねぇ……お空に魔物が潜んでて、まぁるいお月様をこっそり食べちゃうとか?」
真っ暗な夜空を見上げながら、果乃は絵本に出てくる黒くて怖い魔物を思い出したらしい。繋いだ手が小さく震えるのに気付いて、わたしは微笑む。
「ああ、確かに真ん丸で、パンケーキみたいに美味しそうだものね」
「えっ……お月様って、パンケーキみたいにふわふわなのかなぁ。クッキーみたいに固いかと思ってた……それでね、お星様はこんぺいとうなの!」
「ふふっ、良いわねぇ。それじゃあ雲はわたあめね」
繋いだ手を大きく揺らして楽し気に声を弾ませれば、どこまでも暗く果ての見えない夜空は『魔物の住処』なんかじゃなくて、甘いお菓子を散りばめた『大きなお皿』に早変わり。
果乃は安心したように笑って、もう少しで満月へと至る月を掴もうと、背伸び混じりに手を伸ばす。
「じゃあ、美味しい明日のお月様は、今日より減ってるのかな? なくなっちゃってる?」
「そうねぇ……明日はもう少し増えてるかしら」
「え、なんで?」
先月末の、夏の終わりの花火大会の夜。河川敷で見上げた空に浮かんでいたのは、大輪の花火に主役を譲った三日月だった。
今夜はたまたまそれより丸くて、果乃は月が一定の形ではないのだと気付いたばかり。
月の満ち欠けの周期も、一日経ったからといって目に見えて大きく変わるわけではないことも、果乃にはまだ難しいだろう。
「明日のお月様はね、きっと今日より真ん丸で、もっと美味しそうになるわ。……食べるなら大きい方がいいでしょう?」
「うん! 果乃、まんまるパンケーキ食べたい!」
「じゃあ、明日のおやつはパンケーキにしましょうね。ふわふわで、まんまるの……いつもより大きいやつ」
「ほんと? やったぁ!」
いつもならどこか不安げな街灯の少ない夜道の怖さも忘れて、今にもスキップでもしそうな果乃に、わたしもつい笑みが溢れる。
「あ。あのね、お母さん」
「なぁに?」
「パンケーキ、うーんと大きいのにして、半分こしようね!」
「……ふふ、そうね。それじゃあ、とびきりの夜空の一皿を作るために、パンケーキの材料を買って帰りましょうか」
「お星様のこんぺいとうもー!」
段々と冷え込んできた静かな夜の空気も、美しい月を宿した澄んだ星空も、愛する娘と交わす何気ない言の葉たちも。すべてが宝物のような、きっと当たり前で一瞬の、大切な時間。
願わくは、この笑顔が曇ってしまいませんように。この幸せなひとときが、いつまでも続きますように。
明日同じように見上げる夜空には、今日よりも綺麗な満月が浮かんでいることを祈って。
わたしは温かく小さな手のひらを、改めてぎゅっと握った。
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