《尾上 沙綾》

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少しずつ『期待』して、だけどいつまでも奈嗣にとっての『女』になれない自分が嫌だった。 そんな頃、女性の同僚が“結婚”するという話をしていた。 同僚は。 40歳迄には結婚したいと思っていたと語る。 性別は違うが、奈嗣も同じ38歳だ。 一般的に、男性は40歳頃までには結婚したいと考えている人が多いと聞く。 勿論、独身で過ごす人もいる。 しかし奈嗣は会社を経営し、業績を伸ばしている企業の社長だ。 沙綾には詳しく分からないが、もしかすると会社の為にも、何れ奈嗣も“結婚”するようになるのではないかと思った。 そうなれば当然、奈嗣との『食事』も無くなる。 “顔見知り”程度の沙綾との付き合いも無くなるのだ。 『嫌だ』と思った。 しかし『嫌だ』と思っても、奈嗣は沙綾を相変わらず『女』として見ない。 沙綾が奈嗣との食事の後、その大きな手に自分の手が包まれる事にどれほどドキドキしているかも知らないだろう。 奈嗣との関係を維持する為。 そして沙綾が奈嗣を『男』として見ていないと示す為に、ありもしない相手と待ち合わせをしていると偽っている事も。 その相手と合流すると言って、奈嗣の手から自分の手を離す時も。 それがどれほど切ないかも。 沙綾は、奈嗣との仲を進展させる術もない。 ただ、今の『食事をする関係』を維持する事しか出来ない。 しかし奈嗣が“結婚する”寸前まで、その食事を続けていくのか。 『駄目』だ。 そう思った。 もう、辛い未来しか残ってないのだ。 元々、一人で生きていこうと思っていた。 元に戻るだけだ。 今なら、酷く傷付く事無く離れる事が出来るだろう。 沙綾が独りよがりな“恋情”を抱えているだけなのだ。 そう考え、ダラリと落ちた手に巻き付いたブレスレットがシャラリと小さな音を立てた。 本当は、『たった一人で良い』から。 『愛した』人に『愛されたい』。 あまり多くを望まない沙綾の、たった一つの小さな『願い』。 それを奈嗣に望んでしまった。 無理だと分かっていた筈なのに。 ◇◇◇◇◇◇ そうして迎えた、別れの日。 予想に反して、奈嗣は悲しそうな顔を沙綾に見せた。 多少は奈嗣に『寂しい』と思って貰えたのかと、少しだけ未練が強くなった。 だけど、コレで終わりだ。 これから先は、奈嗣に優しくしてもらった『恋の成れの果て(記憶の残骸)』を胸に、静かに過ごしていく。 恋の未練が、沙綾の移住先を決定させた。 前にフランスかデンマークに移住しようと思っていた。 “デンマーク”は、彼の会社が取り扱う商品の数々がある国。 今後、奈嗣と会う事は無いだろう。 だけど、ほんの少しだけ、関わりが欲しかった。 移住先を決める際の動機なら、奈嗣に迷惑を掛ける事も無いだろう。 知られる事も無い。 移住を決め居住地を探すと、運が良い事に日本人の夫婦が借家の借り手を募集していた。 戸建てだったが、人付き合いの苦手な沙綾には良かった。 デンマークに移住したら、のんびり『デンマーク語』や『ドイツ語』を学ぶ為に学校に行こう。 前回のフランスとは違い、沙綾はデンマーク語やドイツ語を知らない。 無理やり、慌てて働かずに言葉を学んでから考えよう。 入学時期までは期間があるので、その間はネットを介して学ぶのも良いかもしれない。 そんな事を決め、沙綾は一人、出国した。
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