図書館で読めない彼

1/1
前へ
/1ページ
次へ

図書館で読めない彼

「これ、お願いします」 「あっ、はい。では貸出カードをお願いします」  また来た、いつもの彼が。  彼がこの図書館に通い始めてから、そろそろ三ヶ月くらい。貸出カードを作る際の手続きで、彼が大学生だということは分かってる。  だけど毎回ここで勉強していくわけじゃなければ、何か読んでいくわけでもない。ただ決まって、彼は…… 「あの……いつも同じ本借りられますよね」 「ああ、そうですね。好きなんで」 「でもそれ、元々アナタが寄贈してくださった本ですよね」 「まぁ、そうなんですけどね。今日もまた借りに来ちゃいました。」 「えっ? それって……」 「この本に」 「……あっ、ですよねぇ〜……」  屈託のない彼の笑顔に、一瞬でも何を期待してたんだか、私のバカ。けど仕方ないじゃない。二十代後半にもなってなかなか良い出会いがなければ、ちょっと年下の男の子が気になりもするわよ。  それにしても、私がこの図書館で働き始めて三年以上が経つけど、彼みたいな人は初めて。だからこそ気になったし、今こうして初めて、こちらから話しかけている。  だって……私も読んでみたいから。 「そんなにその本が好きなら、なぜ寄贈してくださったんですか?」 「それは一人でも多くの人に読んでほしかったのと、あとは……」  言いかけて、彼の目線が私から見て右上の方に向いた。確かそれって、過去を思い出している証拠――って、この図書館に置いてある本で読んだことがある。  でもそんな本を読んだところで、それ以上のことは読めないんだけどね。 「……やっぱりどうしても借りたかったから、ですかね」 「借りたかった?」 「この本、子どもの頃によくここで借りて読んでたんです。そしたら母が『そんなに好きなら』って、本屋さんで同じ本を買ってくれたんですけど……それはそれで、どうも読む気がしなくって」 「いつでも読めるのに?」 「う〜ん……だからこそなんだと思います。もしかしたら僕は、『この本をここで借りていくこと』自体が好きだったのかもしれません」  そう言うと、自分でも困ったような顔をして笑う彼。まるで無垢な少年みたいというか、さぞ大学ではモテるでしょうね。  だけど、彼も子どもの頃からここに通っていたなんて意外。私も子どもの頃からここに通っていたし、何ならずっとここで働きたいと思っていたからこそ、一生懸命勉強して司書の資格を取ったんだもの。  まぁ、勉強目的でここに通ってた頃なんかは、周りを見る余裕なんてなかったけど……もしかして私たち、お互い気づかないうちにここで会っていたりする? 「……変わってますよね?」 「さぁ? 借りる理由は人それぞれですから。けど好きな本があって、それを読むためのこだわりがあるって、素敵じゃないですか」 「あはは……ありがとうございます」  素直に褒めたら、またしても困った顔をされたというか、今度は照れくさそうな顔をされた。そんな彼の表情の移り変わりが、だんだん可愛く思えてくる。  とはいえ、やっぱり私も変だとはおもうけどね。いくらその本が好きだからって、それしか借りていかないし。他の人にも読んでほしいから寄贈したって言うけど、その彼が度々借りていくんじゃ、他の人が読めないし。  大体、そこまで強烈なこだわりを見せられたら、私も気にならざるを得ないじゃない。彼だけじゃなく、その本にもね。 「ちなみにお姉さんは、この本読んだことありますか?」 「いやぁ……まだないですね」 「そっか。じゃあ今日は借りるのやめときます」 「えっ? でも……」 「よかったら読んでみてください。そして今度また借りに来たときに、ぜひ感想を聞かせてください」 「ああ、はい……ありがとうございます」  まさか図書館に務める私が、逆に利用客から本を薦められるとは。こんなことも初めてだから、つい戸惑ってしまう。  それでも彼があまりにワクワクした表情で薦めてくるものだから、私も流されるままに返事しちゃったけど……何だか申し訳ないことをしちゃった気がする。彼から『借りる』という醍醐味を奪ってしまったみたいで。  けどまぁ、彼も「それじゃ」と満足げに帰っていったし、『今度また借りに来る』とも言ってたから、これはこれで良かったのかな?  それに、またここで会う約束をしたみたいで私も嬉しいし……あくまで司書としてね!?  さて、せっかく彼が大好きな本を薦めてくれたんだもの、次に借りに来られるまでに読んでおかなきゃ。私なりの率直な感想を述べられるように――  ――少しでもアナタの心が読めるように。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加