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「本当に御久し振りですね」
タオルを差し出しながら彼女はそう言う。僕は受け取ったそれで濡れた身体を拭きつつ、適当な返事を返す。顔見知りというには疎遠すぎる僕にどうしてここまでしてくれるのか不思議だった。逆の立場なら絶対にこのような事はしないだろう。
「あんまり感心しないよ、男を無警戒で部屋に入れるなんて」
「男って飯山先輩の事ですか?ふふ、それなら大丈夫ですよ。先輩はいい人ですから」
その自信はどこから来るのか謎だったが、一通り礼を言うと、クッションの上に腰を下ろす。
みすぼらしいは言い過ぎだが、簡素でおよそ女性らしいとは言えない部屋だった。必要最低限の荷物だけあるという様な構造をしており、テレビ等は勿論、電子レンジまで見当たらない。冷蔵庫はあったが、一世代前と思しき代物だった。なんだか、居心地が悪い。
「いい人かどうかなんて分からないだろう。そもそも会ったのなんて何年も前なんだし」
「こう見えても人を見る目はあるつもりなんです。父と違って」
そう言うとハッとして彼女は口を閉ざす。
「お父さんがどうかしたって?」
僕は何となく尋ねる。
「はい……」
彼女はそう言うと、静かに語り始めた。
彼女の父は所謂エリートサラリーマンであり、将来を約束されたポジションにいた有能な男性だったらしい。だが、家庭を疎かにするタイプの人間であり、それが原因で彼女が小学生の頃、妻に逃げられたという。それからは男手一つで娘を育てたが、家事育児は全て妻に丸投げしてきた為か、家庭は荒れ放題になったそうだ。父も相当だったと思うが、彼女は彼女なりに色々苦労していた。そんな折、転換期が訪れる。長年の功績の賜物か、父の出世が決まったのである。これで今までの苦労が報われる。そう思われた。
「……違ったんだね?」
いつの間にか僕は彼女の身の上話に夢中になっていた。どうにも他人事とは思えなかったからだ。
「はい。寧ろここからが酷かったです」
そういうと続きを語りだす。
彼女が大学に入って間もなくの事だ。長年務め、家庭を捨ててまでも執着した会社から懲戒解雇を告げられたという。原因は他社への重大な情報漏洩。どうやら長年の友人とやらにそそのかされての事だったらしいが、一部マスメディアに紹介されるレベルの大事件だった。当然そんなやらかしをしていれば娘の自分ものうのうと学生を続けることなど出来はしない。父共々、逃げる様に街を去るしかなかった。
結局父はその後自殺したという。恨みつらみの遺書を残して。
「可哀相に……」
僕はいつの間にか涙を流していた。
「いえ、確かにどん底まで落ちましたけど。命はありましたからね。最近ようやくまとまった貯金も出来てきたのでまた大学に通おうかなとか考えています。先輩、やまない雨はないんですよ」
そういうと彼女はカーテンを開けた。そこにはさんさんと輝く太陽があり、暖かな日差しを部屋に送り届けていた。
「そうだな、まだ生きているもんな」
「はい。楽しくやりましょう。生きてるなら楽しむのが人生長くやっていくコツですよ」
彼女はそう言って、笑った。
僕は自分が恥ずかしくなった。何を悩んでいたのか。まだ五体満足なのだ。どうとでもなる。
日光は強く僕を照らしていた。まるでこれからの未来を暗示するように。
完
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