振り返れば

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 諏訪の剣幕に怯む様子のない佐藤は、見たことのないどす黒い表情をして、聞いたことのない低い声を出す。 「自分だけ素知らぬ顔でいい人ぶってた罰だよ」 「第二性を隠そうがどうしようが俺の勝手で、俺の権利だ。自分の八つ当たりを正当化すんな」  もし誰かが第二性を公表せずに生活していたとして、諏訪はその人を責めたりはしない。実際に、そういう人もいると知識にはある。  諏訪は気持ちで負けそうになるのを、なんとか自分の状況を客観的に見ることで踏み止まったのだ。 「第二性とか関係ない! でも、今のお前らは間違いなく気持ち悪い!!」  教室に反響し、廊下にまで響く声で言い放つ。  その場の全員の時間が、一瞬止まる。  だが一番に我に帰った佐藤が立ち上がり、諏訪に向かって鬼の形相で手を振り上げた。 「……っ」  衝撃に備えて諏訪は目を瞑る。  が、想像していた痛みは来ない。 「……え?」  恐る恐る目を開いた諏訪は、固まった。  そして、ゆっくりと足元を見る。  真っ青な顔をした佐藤が、息も絶え絶えな様子で倒れていた。  佐藤だけではない。  先ほどまで諏訪を嘲っていたDom性の生徒も、周囲で野次馬をしていた生徒たちも。見て見ぬ振りをして過ごしていた生徒たちも第二性に関わらず皆、床に這いつくばっている。  異様な光景に、諏訪はジリジリと後退りした。 「なに、何があった……?」 「おい、諏訪」  恐怖しかない状況で、優しく深い声が後ろから聞こえる。  今一番、助けを求めたかった人の声だ。  振り返れば、いつも通り涼しい顔をした甘井呂が立っていて。  我慢できずに抱きついた諏訪を、ぐらつくことなく受け止めてくれた。 「悪い、拗ねてた」 「……! 俺も、疑ってごめん……っ」  しっかりと抱きしめ返してくれる腕のおかげで緊張の糸が切れて、鼻が熱くなってくる。  このまま二人だけの空間にしてしまいたい。  だが今の状況を無視するわけにはいかない。泣かないようにと目頭に力を込め、諏訪は甘井呂に教室の様子を示した。 「何が起こったか分かんないんだけど……っ! 先生、呼ばなきゃ……!」 「そうだな。よく分かんねぇけど一大事(おおごと)っぽいな」  甘井呂は教室内を静かな目で見渡すと、淡々と頷いた。冷静すぎて違和感があるほどだ。 (不良同士の喧嘩ってこういう状況よくあるのか!?)  頭の中に疑問符を並べながら、諏訪は甘井呂の手を引いて教室を出た。 「諏訪くん! 大丈夫ですか!?」  職員室へ向かおうと廊下を走り出した途端、前方から担任の教師が血相を変えてやってきた。  どうやら途中で教室を出た生徒が呼んでくれたらしい。 「俺は大丈夫なんですけど!」  諏訪が教室を指さすと、担任の教師が驚愕する。  その隙に、甘井呂は教室の前に留まろうとした諏訪の手を引いてその場を離れた。  強い力に抗えずに諏訪は焦った声を出す。 「ちょ、甘井呂! なんかやることあるかも」 「断言するがそれはお前のやることじゃねぇ」 「でも」 「お前のケアが先だ」  しっかりと握られた熱い手に逆らえるはずもない。  珍しく全く聞く耳を持ってくれない甘井呂に連れられて、諏訪はまた階段を上る羽目になった。
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