目を離せない

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目を離せない

 任せると決めて男子生徒の指示に従ったものの、ソワソワする。何か忘れているような、物足りないような、そんなモヤモヤが胸に渦巻いていた。   (なんだ? さっき会ったばっかの奴にチームメイトを丸投げしちゃったから落ちつかねぇのかな……でも、PlayするならNormalに出来る事とかないし……)    Domの支配欲とSubの被支配欲を満たすための特殊なコミュニケーションをPlayという。  Domが命令し、Subがそれを遂行することで成立するものだ。  Play中に出される命令はCommandと呼ばれ、Subは基本的に抗うことができない。    そう思うと、諏訪は今更ながら佐藤のことが心配になってきた。  人を見かけで判断してはいけないと分かってはいるものの、逆立ちしてみたって諏訪が連れて来た男子生徒は真面目な雰囲気ではなかったからだ。  先ほどは素晴らしい体格に目が眩んでいたが、冷静に考えると怖そうな生徒だというのが正直な感想だった。   (もしも悪化したら……)    すぐ近くで部長の林が唐渡を叱る声を聞きながら、諏訪はほんの少しだけ部室のドアを開けた。気付かれないように慎重に、隙間から中の様子を覗き見る。 「佐藤……さん、か。俺は一年の甘井呂翔(あまいろしょう)だ」 「甘井呂、くん」  どうやら二人は自己紹介から始めていたらしい。  諏訪は「そんな場合なのか」と焦れた気持ちになるが、Playは信頼関係が大事なのだという。相手の名前くらいは知っておいた方がいいのだろうと思い直す。 「じゃあ、始めるか」  柔らかく深い声に、耳の奥を刺激される。  覗いているという背徳感からだろうか。自分に向けられたものでもないのに、諏訪は体の奥が熱くなるのを感じた。    横たわっている佐藤の青白い頬に長い指がスルリと触れ、血色の良い唇が弧を描く。 「Stand up(立って)、出来るか?」  青いベンチから佐藤がゆっくりと立ち上がる。ふらりと体が傾いたのを、甘井呂は肩を抱いてしっかりと支えた。 「Good(よし)。上手だ」  ぽんぽんと背中を撫でながら、耳元で囁いた甘い声。  それは不思議と諏訪にもはっきりと聞こえ、音色が脳に浸透していくようだった。  まるで甘井呂の声が自分に向けられているかのような錯覚に陥っていく。   (さっきまでと別人みたいだ……)    大切なものを慈しむような甘井呂の横顔から目が離せない。  諏訪がふわふわとしている間に、甘井呂はベンチに腰掛けて緩く腕を広げていた。   「Come(おいで)」  優しいCommandに従って遠慮がちに近づいた佐藤の体を、甘井呂は両腕で包み込む。そのまま腰を引き寄せて、小柄な体を膝の上に抱き上げた。 「Good boy(よく出来ました)」 (う、わ……)    頭を撫でられた佐藤の頬に赤みが差し、甘井呂に体を預けてとろんと心地良さそうな目になっている。   (見ちゃ、ダメなのに)    甘井呂に任せて大丈夫そうなことも分かったし、Sub dropのケアとはいえPlayを覗き見るのはやめた方がいいことを諏訪は理解していた。  でも。   (いいな……)    頭が痺れる。鼓動が早い。頬どころから指の先まで熱くなっている。  自分の中に初めて生まれた感覚に戸惑いながら、諏訪は生唾を飲み込んだ。   (もうちょっと……)    後少しだけ、この世界に浸っていたい。  そう思って改めて息を潜めた矢先。 「Play中のSubみたいなポーズになってますよ、副部長」 「ひょぁあ!」  説教されていたはずの唐渡にポンと肩を叩かれて、いつの間にか地面に座り込んでいた諏訪は間抜けな声を上げたのだった。
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