夏泥棒

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「「いただきます」」  繭は目を閉じて箸を取り、祈るように手を合わせてから食べ始めた。その仕草はまるで神聖な儀式のようだった。箸使いの音だけが聞こえる中で、繭はずっとにやにやしながら食べていた。可愛いけど、見てるとだんだん照れくさくなってくる。 「何をにやついてんだよ」 「えー。何か夫婦みたいだなって」 「…ばーか」 「だって、嬉しいんだもん。誰かとご飯食べるなんて、普段ないから」  俺の手が止まる。繭とはクラスが別だから、そこまで考えが及ばなかった。 「昼はどうしてるんだ」 「屋上にいる。風が気持ちいいの」 「今日は、母親は」 「外泊。珍しくないよ。おかげで料理も上手くなったし」  屈託なく笑いながら話す繭の孤独が浮き彫りになる。俺は次々に質問を重ねていった。何だか聞くのをやめたら、このまま彼女がどこかへ消えてしまいそうな気がしたのだ。 彼女の母親は離婚してからは、あちこち転々としながら歓楽街のスナックで働いていた。 『娘の父親だって誰だかわかんねえって話だ』 『娘も娘だ。血は争えねえな』  この街の人たちは、いつも繭と母親を遠巻きに見ていた。目の前の彼女の笑顔と、会話の内容との落差にやりきれなくなった。 「尚ちゃんてば」  呼ばれてるのに気がついてはっとした。 「美味しい?」 「ああ。旨いよ」 「ホント? よかった」  食べ終えると繭は残ったご飯で握り飯を作った。手際よく三角に形を整え、俺が見守るうちに二つ、三つと並んでいく。 「ひとつくれよ。見てたら食いたくなった」  俺がそう言うと繭は嬉しそうに手渡した。 直に彼女の掌が触れたところが愛おしくて、かじると表面の塩と顔を出した梅干しで、次々に欲しくなる。食べ物に込められた想いがじんわりと俺にも届いた。 「ごちそうさま」 「お粗末さま」  少し休んでから勉強会が始まった。数学と英語の成績が酷いのだと繭は言った。うちの高校は就職組が三割で、進学先も専門学校を選ぶ人が結構いる。 「繭は大学行くのか」 「わかんない。でも、この成績じゃ無理かも」 「今から頑張ればいい。やりたいこととかないのか」  俺が尋ねると繭は少し思案した。 「料理の勉強がしたい。出来るかな」  珍しく弱音を吐いた。 「いいじゃん。やりなよ」 「尚ちゃん…」 「今日のお前を見て、食べ物を大切に扱う気持ちは伝わった。繭に合うと思うよ」 「うん。ありがと」  繭は恥ずかしそうに頷いた。
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