夏泥棒

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風が少し強くなった。 「ちょうどいい暑さだね」 サンドイッチと缶コーヒーを口にしながら、二人で海を眺めた。まだ夕方には早いけど、列車のダイヤを考えるとそろそろ時間だ。 「帰るか」 「尚ちゃん。あたしね、アメリカに行くことになった」  降って湧いた繭の話に、俺はぽかんとしてしまった。 「…何で」 「父さんがあたしに会いに来たの。母さんが根無し草だから、行き先を辿るのが大変だったみたいで。ようやく見つけたって泣かれちゃった」 「親父さんってアメリカの人?」  突然の話に間抜けな質問しか出来ない。 「ううん。でも、今は向こうに住んでて仕事もうまくいってるから、あたしのこと引き取りたいって」 「今さら、何だよ」  俺が言うべきことじゃなかったが、思わず口走っていた。勝手だ。どんな事情だったとしても、自分の都合で離れたくせに。そして、同時にその裏にある気持ちに気づく。俺も繭と離れたくないってことに。 「あたしもそう思ったよ。でもね、このままだと、あたしも母さんと同じ道を進むことになるって言われて決めたの」  繭の話では、母親のヘルプで店に立たされたりすることもあったらしい。その店もあまり品のいい場所ではないとも。 「それに、もうとっくにあたしは母さんのお荷物でしかなくなってるからね」 「そんなこと言うなよ」  俺は繭の両肩を掴んだ。力なく笑う瞳が微かに揺れ、たまらなくなって俺は繭を抱きしめた。 「俺がいるじゃん。俺、やだよ。お前がいなくなるの」 「尚ちゃん…」 「せっかく、気づいたのに」 「何を?」  顔は見えなくても、急にこみ上げた気持ちを言葉にするには勇気が必要だった。言葉に詰まっていると繭が耳元で囁いた。 「あたしのこと、好きだって?」  心臓を掴まれたようにぎゅっと苦しくなって、俺は腕に力を込めた。繭も俺の背中に腕を回して、俺を優しく宥めてくれた。 「三年後にまた会おうよ。東京の専門学校に行くから」 「料理のか」 「そう。だから、尚ちゃんは頑張って東大入って」 「アホか! 無理言うな」  張り詰めた空気が一気にほどけて、二人は顔を見合わせて笑った。ひとしきりして繭が俺の腕にしがみついた。
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