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◇ ◇ ◇
「ねぇ、ハル」
車を走らせながら、私はルームミラー越しに悠斗に問いかけた。
「ばぁば、元気で良かったね」
「……うん」
相変わらず、悠斗の反応は鈍い。さっきまで母と一緒にいた時は平気だったのに、私と二人きりに戻った途端、また別人のように不愛想に戻ってしまった。
「もしかして、今朝ママが怒ったの気にしてる? ごめんねハル。ママ、言い過ぎたよね。ママ、なんだかばぁばの事が心配になっちゃって、いても立ってもいられなくなっちゃったの」
「…………」
「だからって言い訳にしかならないよね。ハルが誰よりもばぁばの体気にしてたの知ってるのに、冷たい人だなんて言って本当にごめんなさい」
「……うん」
返事とは裏腹に悠斗の塞ぎぶりはまるで変わる様子は見えない。普段はあまり感情的に叱る事なんてなかっただけに、五歳の子に対し、思いのほか大きなショックを与えてしまったのかもしれないと自責の念に駆られた。
でも……もとはと言えば、悠斗が黒い人がいたなんて言うからだ。
母の隣に黒い人がいると言った癖に、家に居た方がいいだなんて。おばあちゃんっ子のはずの悠斗が、どうしてそんな事を言ったのだろう。ばぁばの身に何かあったらとは考えなかったのだろうか。
「ねぇ、悠斗。聞いてもいい?」
「何?」
「昨日……言ってたでしょ? ばぁばの隣に、黒い人がいるって。今日はもういなかったのかなぁ?」
「…………」
「黒い人がいなくなったから、悠斗はばぁばと楽しくお話できたんでしょう? 違うの?」
悠斗は答えなかった。
「どうして教えてくれないの?」
「だって……」
「だって?」
「……ママが……もう二度としないでって……」
消え入りそうな声で俯く悠斗に、胸が痛んだ。
「だからごめんね。今はもう大丈夫だから、教えて欲しいの。ばぁばの隣、黒い人いなくなってた?」
ルームミラー越しに、悠斗が小さく頷くのが見えた。
「良かった。じゃあ、ばぁばはきっともう大丈夫なんだね。だったらどうして悠斗はそんなに元気がないの? 朝、ママが怒ったから? 家に居た方がいいって言ったのはどうして?」
悠斗は首を左右に振った。
「じゃあ、どうして?」
「言っても……」
「え?」
「言っても怒らないって、約束してくれる?」
絞り出すような声に、妙に胸騒ぎを覚えた。
「怒らない……よ。大丈夫だから、ママに教えてくれる?」
平静を装ったものの、いつの間にか喉がカラカラに乾いていて、声が貼りつくように感じた。
「いるんだよ」
「……いるって?」
「黒い人」
「ばぁばの隣にはいなくなったって言ってたでしょ? それは嘘だったっていう事?」
「そうじゃなくて……」
悠斗はイヤイヤをするように、激しく首を振った。
「いるんだよ、黒い人。朝からずっと、ママの隣に」
誰もいない助手席を指差す悠斗に、私は驚きに目を見開いた。
その時――
――キキィィーーーーーーッ!!!
耳をつんざくようなブレーキ音が響いた。
弾かれたように視線を正面へと戻した私が目にしたものは、対向車線をはみ出し、すぐ目の前まで迫った大型トラックのバンパーだった。
ボディがひしゃげ、フロントウィンドウが粉々に砕け散るさまがまるでスローモーションのように再生される中、私の目にも、助手席に座って嬉しそうに満面の笑みを浮かべる黒い人の姿が見えた気がした。
<了>
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