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月水金曜は十七時まで、火木土曜は十二時まで働いて、それ以外の時間はスーパーのレジ打ちのバイトも入れていた。職場を二つに増やしたことで、どちらかのストレスをもう一方の職場で発散できるようになっていた。私にはフリーターが向いていたのかもしれない。
「お疲れさまでーす」
そう言って、カーテン屋を後にした。水曜日の今日は十七時までの仕事だったので、今は十七時を十五分を回ったところだ。残ってのんびりパートさん同士と話すといったことも私はしない。そうして向かう先は決まっていた。
カラン。
ドアベルが静かに音を鳴らすと、そこからは珈琲の深い香りが店内を包む。”take shelter”というそのお店は、私がもう十年近く通う喫茶店だった。
「いらっしゃいませ」
いつも物腰柔らかく、けれど折り目正しく、いつだって親しみやすさと礼儀のバランスが整うこのマスターの雰囲気に私は居心地の良さを感じていた。店内にはお客はいないようだった。いつもそうなのだ。ここは、いつだって客入りが少ない。どうやって経営を回しているのだろうと思うのだけれど、マスターに聞けば、「そういうお店なんです」と微笑みが返ってくるだけだった。
私は、奥のボックス席にいつものように腰を下ろした。メニューはない。
「今日はなににされますか?」
水とおしぼりを持って現れたマスターに聞かれて、私はキリマンジャロと答えた。酸味の効いたその珈琲は私が好んでよく飲むものだった。
「デザートはなにか召し上がられますか?今、丁度レモンのタルトが焼けたところですが」
ここはメニューはないくせに、いつだって私が――お客が――欲しいものを置いておいてくれる。
「それなら、それをいただきますね。相変わらず、怖いくらいに欲しいものが分かってるお店ですね」
「そういうお店なんです」
マスターはまた微笑みを残して、カウンターに下がっていった。ここの、グラスを吹く微かなキュッキュッという音も、お湯を沸かす音も、すべてが私の基調音になっている。自然にそこにあって、誰にもこの心地良さを伝える術のないたしかに馴染む音たち。そういう音楽とは違った音の心地良さを、人は探しているのかもしれない。
カラン。
この店には珍しく、誰かお客さんが入ってくるのが分かった。けれど、私の席からは入り口は死角になっていてどんな人が入ってきたのかは分からなかった。
「あの、初めてなんですけど」
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