8人が本棚に入れています
本棚に追加
初対面
初対面の場は駅近くの喫茶店だった。
小木茉莉花を見て、一瞬ぎくりと声が喉に引っ込むのを亜佑美は感じた。
男受けするタイプだろう、と率直な感想を持った。身長は亜佑美より十センチほど低く、長い髪を低い位置でアップにまとめている。
「はじめまして。お会いできて嬉しいです」
小柄な身の丈を更に縮めるようにして、茉莉花が二回ほど頭を下げる。物怖じした振る舞いが若手社員のそれを彷彿とさせる。亜佑美は手振りで座って、と指し示し、口を広げて笑う。
「こちらこそ。いつも夫がお世話になってますー、羽田亜佑美です」
「小木茉莉花です」
「どうぞどうぞ。って、私が言うのもなんだけど……なんか私まで緊張してきた」
ようやく言葉が声に乗り始めたのを自覚する。隣の眞に笑いかける。水を向けられたように、眞がグラスを置いた。
「小木さんいい子だよ。本当にいつも助かってます、仕事も正確だし」
「あまり早くはないんですけど」
茉莉花がちらっと目線を上げる。眞の声に親しげな苦笑いが混ざる。
「でも、前よりずっと早くなってきてるよ。丁寧だから漏れも少ないし。今二年目だっけ?」
相槌だけを打ちながら、テーブルの向こうで眞の言葉に頷き返す茉莉花を亜佑美は観察する。
生きていれば自然に恋人ができてもおかしくないような、可愛らしい女性に見える。困っているようには見えないが、人のものに付加価値を感じる女性もおそらく世の中にはいるのだろう。あるいは、若さ故に無自覚で行動した結果に過ぎないのかもしれない。
冗談めかした眞の言葉に、茉莉花がうつむいて笑った。
よく見れば焦げ茶色をしているお団子の脇に、花を象ったバレッタがきらりと光っている。澄んだ笑い声が心地よい。
……私ならもっと豪快で、こんな女の子らしい、鈴の転がるような声にはならない。
「でさあ、こないだも……な。聞いてる?」
はっと顔を上げる。
「うんうん! なんだっけ」
「聞いてねえじゃん。ほら小木ちゃん、こないだ話したじゃん。あのあとうちの嫁さんまたやってんの。おかず完成してから米炊き忘れ」
「うええっ。ちょっと眞くんそれ言わないでよ」
おかげでドラマ一本消化できたよな、と笑う夫を小突き、亜佑美は肩を縮める。
くすくすとひとしきり肩を揺らし、茉莉花が目線を上げる。
「眞くん、って呼ばれるんですね。羽田さんのこと」
一瞬重なった目線に、なんらかの意味が込められている予感があった。肌に砂が貼りつくほどの居心地の悪さを、はたき落とすように亜佑美は笑う。
「そうなの。昔からこの呼び方で」
「えー、素敵です。……いいなあ。羽田さん本当に話しやすくて。会社でもみんなに慕われる存在だから、つい私まで頼りにしてしまって、色々お話聞いてもらってて。やっぱりそういう方には魅力的な奥様がいるんですよね。私憧れます」
「褒め殺しやん」
「本当ねえ、そんないいものでも」
頷いて、眞と顔を見合わせる。はっはっは、と阿吽の呼吸で笑い合いながら、亜佑美は心中で首を傾げる。
憧れます、と言いながら睫毛を伏せた茉莉花の残像が、混乱でもって胸をかき混ぜていく。
いい子なのか? アイスティーのストローを吸い上げる茉莉花を、我知らず探る目つきで追いかける。目が合った瞬間、葉陰に隠れる小動物のような俊敏さで茉莉花が顔を逸らした。
亜佑美はげんなりと脱力する。天然の人見知りちゃんか?
「あっ、そういえば……」
茉莉花が切り出したのは、眞がトイレに立った短い間のことだった。
蜂蜜の入ったカフェオレのカップを置き、亜佑美は口角を上げる。不明瞭に口ごもってから、茉莉花が亜佑美を見上げる。
「羽田さんは、なんて呼んでるんですか、奥様のこと」
「……えっ?」
「ほら。さっき眞くんって」
「……ああ」
「亜佑美! とかそういう感じですか? それとも……亜佑美ちゃん?」
言葉を忘れたような無言の後に、亜佑美は息を吹き出して笑った。茉莉花は相変わらず、悪戯を思いついたような無邪気な目をしている。
「なにそれ。……普通に亜佑美だよ、亜佑美! じゃない方の。弱めなのうちの人」
「あー。わかります」茉莉花が口元を隠して頷く。含み笑いが、ころころと心地よくテーブルの上を踊っている。「確かに、弱めかも」
最初のコメントを投稿しよう!