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お近づき
午前十一時の学食は人がまばらだった。広い室内にぐるりと視線を走らせる。奥のテーブル席に彼の姿があった。私はたいしておなかも空いていなかったけど、ホットドッグの食券を買って学食を奥まで進んだ。
さすがにこれだけ空いている状態で、彼のとなりに座るわけにもいかない。大テーブルをひとつはさんで、彼の正面に座ることにした。距離としては数メートル。会話ができる距離ではあるが、これだけ離れていれば、真正面に座っても不自然じゃないだろう。そんなふうに思いながら席につく。
彼は午前中から大きな丼で中華麺をすすっていた。あの丼はうちの大学名物『超濃厚とんこつ醤油ラーメン』のものだ。私も入学したてのころ一度食べたことがある。味が濃すぎて、その日の午後は授業に集中できないほどグロッキーになった。苦い思い出のある一品だ。
そんなどろどろの味のラーメンを彼は美味しそうにすすっている。涼しい顔なのにギャップがあるんだなと思った。
「ふふっ」
思わず口もとが緩んでしまった。そこで奇跡が起こった。
「今、おれに笑った?」
とつぜん彼が、テーブルの向こう側から声をかけてきたのだ。
「ねえ、そっち行っていい?」
そう言って席を移動し私の正面に腰をおろす。
「たしか、きみ、授業でも一緒だったよね?」
おおう。彼は私のことを認識していたのか。
「あ、は、はい」
緊張しすぎて、ヘンテコな返事しかできない。
「おれは光輝。三年。きみは?」
「比奈です。一年です」
「そっか、比奈ちゃんか」
そう言って少し話したあと、光輝先輩が提案する。
「ねえ、連絡先教えてよ。来週も授業終わったあと、よかったら一緒に時間つぶさない? おれ、この時間ひとりだから、いつも退屈なんだよね。友達は授業出ちゃうし」
大学ではよくある声かけだ。街でのナンパとは違う感じ。まあ、それでも多少チャラさは感じてしまうが。
「あ、は、はい。でも……」
とつぜんすぎて、うまく返事ができない。
「大丈夫。おれ、女性関係で嫌なことがあって傷心中だから」
なんて聞いてもない情報を与えてくれる。安心しろということなのだろうか。
「それなら……」
私たちは連絡先を交換した。私のメッセージアプリにポンとスタンプが届く。
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