ねえ、傘に入れてよ

1/1
前へ
/1ページ
次へ
「ねえ、傘に入れてよ」 放課後。突然降り出した雨に困っていたところ、悠馬が現れた。 話しかけるのに、少し勇気が必要だったけど、そんなことも言ってられなかった。 悠馬はわたしを一瞥して、小さく息を吐いた。 「嫌だって言ったら?」 「……嫌だって言う」 「答えになってないだろ、それ」 悠馬がくすりと笑った。つられて、わたしの口元も緩む。 それに気が付き、口元を手で隠した。いけない、いけない。感情が表に出てしまった。 わたしと悠馬は幼なじみだ。こども園の入園前、まだ二人がまともに言葉を発することさえできない頃からの仲だ。 同じこども園に通い、同じ小学校に通い、同じ中学校に通っている。 同じクラスになったのはこども園と、小学三年生の時だけだが、顔を合わせれば長い時間しゃべるし、よく一緒に遊びにも行く仲だった。 でも、それは小学生まで。中学生になってからは、悠馬がわたしとの関係を避けるような素振りが増えた。 理由は思春期だから、というわけでもない。多分、悠馬に好きな人ができたからだ。 花園さんが悠馬の好きな人だろう。まあ、花園さんを好きになるのはわかる。ビジュアルは飛びぬけて可愛いし、性格もおしとやか。さらにおしゃれだ。それでいて嫌味なところがない。嫌なところを強いてあげるのなら、やや天然な部分が見られる、というぐらいだろう。 男子は言うまでもなく、女子からも好かれるような存在だった。 しかも、花園さんも悠馬を気に入っているという噂もある。 ……わたし何かが、到底太刀打ちできる相手じゃない。 「それで、傘に入れてくれるの?」 いつもなら、こんなことは頼まない。だけど、今日は早く帰りたかった。ママの誕生日なのだ。一生懸命、毎日働くママを労ってあげたい。ママが帰ってくる前にケーキを用意しておきたかった。 用意といっても、わたしは不器用を体現したような存在なので、作ることはできない。買ってくるだけだけど。 「変な噂が立ってもいいのなら」 「それで困るのは、悠馬……じゃなかった、三枝くんの方でしょうに」 悪戯っぽく言う。そうじゃなきゃ、こんなこと言えない。 ふと、悠馬を見ると、小首を傾げていた。 「なんで俺が困るんだ?」 それ……わたしに言わせるの? 怒りにも似た感情が沸き上がった。筋違いなのはわかってる。だけど、わたしの気持ちを無視したような発言に、勝手に感情が暴れ出す。 だから、口にしてしまった。 「花園さんに勘違いされるよ?」 悠馬は眉を寄せた。 やっぱり、嫌、なんだ。わたしと噂になるのが嫌なんだ。花園さんに勘違いされるのが嫌、なんだ。 途端に泣き出したくなる。 勝手に怒って、勝手に暴走して、勝手に哀しくなる。 ただの阿呆だ、わたしは。 ……急に濡れたくなったな。 わたしは、雨が降りしきる中に飛び出そうと、足を前に思い切り踏み出した。 しかし、足は止まった。止められた。 悠馬がわたしの腕をつかんでいたからだ。 小学生の頃なら、簡単に振り払えていただろう。なのに、もう振り払えない。男の子になったんだな、と改めて実感する。 「……離して、三枝くん」 悠馬が腕をつかんでいる手と逆の手で傘を開いた。 「何を勘違いしてるのかは知らないけど、雨に濡れて、鈴に風邪を引かれるのは困る」 悠馬は顔を伏せながら言った。ほんのり、耳が赤い。 わたしも悠馬の顔を見られない。名前で呼ばれたの、いつ振りだろう。 「……どうして悠馬が困るの」 「心配になるからだ」 悠馬の間髪入れない言葉に、心が反応してしまう。うれしい、とひだまりのような温かさが広がっていく。 悠馬、わたしを心配してくれるんだ。 「……じゃ、じゃあ、傘、入れてくれるってこと?」 悠馬は軽く頷いた。 「ありがと。変な噂が流れた時は、上手く否定しておくから」 わたしは悠馬の傘の中に入る。肩が触れ合いそうになって、少しドキドキする。 その時だった。 雨が不意に上がった。 ……なんてタイミングの悪い。 わたしは嘆息を漏らしそうになったが、我慢した。残念そうにしたら、わたしの感情が伝わってしまうだろうから。 「ありがとう、三枝くん。雨、止んだみたい。だから……」 刹那、悠馬がわたしの言葉を断ち切るように言った。 「一緒に帰ろう」 「……ふへ!?」 その言葉に虚を突かれて、変な声を出してしまった。それが恥ずかしくて、でもそれ以上に悠馬の言葉で顔が赤くなる。言葉がうれしくて、体が勝手に反応してしまう! ただ、悠馬には見られていなかった。悠馬は顔を伏せていたから。 「……べ、別に、俺は、お前と変な噂立ったって、気にしない」 まあ、そうか。わたしと悠馬が幼なじみなのを、知っている人はそれなりにいる。だから、変な噂が立ったところで、簡単に否定できる。気にする必要もないか。 また、泣きたくなる。もう雨は上がってしまったし、何なら晴れ間も差してきたから、もう隠しようがないけど 涙をこらえながら、悠馬を見る。 悠馬は、凛々しい顔で、わたしのことを見据えていた。 「俺の感情に関してだけ言えば、変な噂が立ったとしても間違いじゃないし」 「……え? それって」 どういう意味!? まさか……。え? そんなこと? ん? あ? え? は? 「と、とにかく一緒に帰ろう」 悠馬はわたしの手を取り、ぐいっと引っ張った。悠馬に続いて、空の下に飛び出す。 わたしは顔を真っ赤にして、悠馬の真っ赤になった耳を見つめた。 悠馬の耳は、多分、わたし以上に真っ赤だった。 ~FIN~
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加