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「ねえ、傘に入れてよ」
放課後。突然降り出した雨に困っていたところ、悠馬が現れた。
話しかけるのに、少し勇気が必要だったけど、そんなことも言ってられなかった。
悠馬はわたしを一瞥して、小さく息を吐いた。
「嫌だって言ったら?」
「……嫌だって言う」
「答えになってないだろ、それ」
悠馬がくすりと笑った。つられて、わたしの口元も緩む。
それに気が付き、口元を手で隠した。いけない、いけない。感情が表に出てしまった。
わたしと悠馬は幼なじみだ。こども園の入園前、まだ二人がまともに言葉を発することさえできない頃からの仲だ。
同じこども園に通い、同じ小学校に通い、同じ中学校に通っている。
同じクラスになったのはこども園と、小学三年生の時だけだが、顔を合わせれば長い時間しゃべるし、よく一緒に遊びにも行く仲だった。
でも、それは小学生まで。中学生になってからは、悠馬がわたしとの関係を避けるような素振りが増えた。
理由は思春期だから、というわけでもない。多分、悠馬に好きな人ができたからだ。
花園さんが悠馬の好きな人だろう。まあ、花園さんを好きになるのはわかる。ビジュアルは飛びぬけて可愛いし、性格もおしとやか。さらにおしゃれだ。それでいて嫌味なところがない。嫌なところを強いてあげるのなら、やや天然な部分が見られる、というぐらいだろう。
男子は言うまでもなく、女子からも好かれるような存在だった。
しかも、花園さんも悠馬を気に入っているという噂もある。
……わたし何かが、到底太刀打ちできる相手じゃない。
「それで、傘に入れてくれるの?」
いつもなら、こんなことは頼まない。だけど、今日は早く帰りたかった。ママの誕生日なのだ。一生懸命、毎日働くママを労ってあげたい。ママが帰ってくる前にケーキを用意しておきたかった。
用意といっても、わたしは不器用を体現したような存在なので、作ることはできない。買ってくるだけだけど。
「変な噂が立ってもいいのなら」
「それで困るのは、悠馬……じゃなかった、三枝くんの方でしょうに」
悪戯っぽく言う。そうじゃなきゃ、こんなこと言えない。
ふと、悠馬を見ると、小首を傾げていた。
「なんで俺が困るんだ?」
それ……わたしに言わせるの?
怒りにも似た感情が沸き上がった。筋違いなのはわかってる。だけど、わたしの気持ちを無視したような発言に、勝手に感情が暴れ出す。
だから、口にしてしまった。
「花園さんに勘違いされるよ?」
悠馬は眉を寄せた。
やっぱり、嫌、なんだ。わたしと噂になるのが嫌なんだ。花園さんに勘違いされるのが嫌、なんだ。
途端に泣き出したくなる。
勝手に怒って、勝手に暴走して、勝手に哀しくなる。
ただの阿呆だ、わたしは。
……急に濡れたくなったな。
わたしは、雨が降りしきる中に飛び出そうと、足を前に思い切り踏み出した。
しかし、足は止まった。止められた。
悠馬がわたしの腕をつかんでいたからだ。
小学生の頃なら、簡単に振り払えていただろう。なのに、もう振り払えない。男の子になったんだな、と改めて実感する。
「……離して、三枝くん」
悠馬が腕をつかんでいる手と逆の手で傘を開いた。
「何を勘違いしてるのかは知らないけど、雨に濡れて、鈴に風邪を引かれるのは困る」
悠馬は顔を伏せながら言った。ほんのり、耳が赤い。
わたしも悠馬の顔を見られない。名前で呼ばれたの、いつ振りだろう。
「……どうして悠馬が困るの」
「心配になるからだ」
悠馬の間髪入れない言葉に、心が反応してしまう。うれしい、とひだまりのような温かさが広がっていく。
悠馬、わたしを心配してくれるんだ。
「……じゃ、じゃあ、傘、入れてくれるってこと?」
悠馬は軽く頷いた。
「ありがと。変な噂が流れた時は、上手く否定しておくから」
わたしは悠馬の傘の中に入る。肩が触れ合いそうになって、少しドキドキする。
その時だった。
雨が不意に上がった。
……なんてタイミングの悪い。
わたしは嘆息を漏らしそうになったが、我慢した。残念そうにしたら、わたしの感情が伝わってしまうだろうから。
「ありがとう、三枝くん。雨、止んだみたい。だから……」
刹那、悠馬がわたしの言葉を断ち切るように言った。
「一緒に帰ろう」
「……ふへ!?」
その言葉に虚を突かれて、変な声を出してしまった。それが恥ずかしくて、でもそれ以上に悠馬の言葉で顔が赤くなる。言葉がうれしくて、体が勝手に反応してしまう!
ただ、悠馬には見られていなかった。悠馬は顔を伏せていたから。
「……べ、別に、俺は、お前と変な噂立ったって、気にしない」
まあ、そうか。わたしと悠馬が幼なじみなのを、知っている人はそれなりにいる。だから、変な噂が立ったところで、簡単に否定できる。気にする必要もないか。
また、泣きたくなる。もう雨は上がってしまったし、何なら晴れ間も差してきたから、もう隠しようがないけど
涙をこらえながら、悠馬を見る。
悠馬は、凛々しい顔で、わたしのことを見据えていた。
「俺の感情に関してだけ言えば、変な噂が立ったとしても間違いじゃないし」
「……え? それって」
どういう意味!?
まさか……。え? そんなこと? ん? あ? え? は?
「と、とにかく一緒に帰ろう」
悠馬はわたしの手を取り、ぐいっと引っ張った。悠馬に続いて、空の下に飛び出す。
わたしは顔を真っ赤にして、悠馬の真っ赤になった耳を見つめた。
悠馬の耳は、多分、わたし以上に真っ赤だった。
~FIN~
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