黒鍵に委ねて

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「……有彩ちゃん?」 なぜかそこには一緒にオーディションを受けたライバル?の有彩ちゃんがいた。  「あ、麻里ちゃん」 有彩ちゃんは私の名前を呼ぶ。 その表情は笑顔一色のように感じる。 「ピアノの練習?」 「うん……もうすぐ本番近いし、ミスばっかりだから……練習しないと」 私の表情は対照的で暗いものだろう。 鏡を見なくとも分かる。 「……聴いてもいい?」 「え?」 「麻里ちゃんのピアノ、聴いてもいい?」 思いもよらぬ提案をされる。 オーディションでも聞いただろうに。 卒業式の練習でも聞いてるだろうに。 なぜ、今わざわざ? 「別に、いいけど……」 「ありがとう」 有彩ちゃんはピアノの側に腰をかける。 とても穏やかな顔をしている。 有彩ちゃんだけをみればそこはこんな小さな箱庭ではなく春の草原のように思えた。 私はピアノの音を奏でた。 やっぱりピアノ自体は好きだ。 優しい音色に包まれ、好きなように自分を表現できる。 するとそこに有彩ちゃんが歌をいれた。 とても心地が良い。 誰かと奏でるということをあまり意識したことは無かった。 出来上がるハーモニーに心が躍る。 卒業式の練習の時には気付けなかった。 演奏は終わりを告げる。 「やっぱり、麻里ちゃんのピアノ、私好き」 「え?」  唐突に有彩ちゃんがそんなことを言ってくる。 嬉しさと同時に恥ずかしさと照れくささが押し寄せどう反応すべきか冷静に判断できず、なんとも言えぬ笑顔を見せることしかできなかった。 それでも有彩ちゃんは続ける。 「歌いやすいけど……自我がある。優しくて、温かくて……この音色は麻里ちゃんなんだって思える」 なんだか難しいことを言われる。 とりあえず分かるのは褒められているってことだ。 「ごめんね、変なこと言っちゃったかな?とにかく、麻里ちゃんのピアノが好きってこと」 「あ、ありがとう……」 小さくしか反応できない。 今まで同級生に褒められたことなんてなかった。 今回が初めて同級生の皆の合唱といっしょに弾くピアノだし、その初めてのピアノ伴奏でミスを連発しまくっているから当たり前ではある。 されるのは応援か、ミスの指摘くらいだ。 「麻里ちゃんって好きな階名とかないの?」 「好きな階名……?」 階名……ドレミファソラシ……の中から好きな音? 一拍考えてみる。 好きな階名なんて考えたことなかった。 「分かんない……そういう有彩ちゃんは好きな階名あるの?」 「んっとね……階名ではないんだけど、私は黒鍵の音が好き」 「黒鍵?なんで?」 「黒鍵って(シャープ)とか(フラット)とか、特別な記号がついてるときぐらいしか弾かないじゃん。だから特別って感じがして好き」 確かに黒鍵は何かがつかないと基本的には弾かない。 「はじめは特に#も♭もつかない楽譜が変調するとき#と♭まみれになるときあるでしょ?なんか、あれ好きなんだよね。人生って感じがする」 また難しいことを口にする。 私の頭が追いつかないのか有彩ちゃんの想いが抽象的過ぎて伝わらないのか。 多分前者だと思いつつ私は尋ねた。 「人生?」 人生って感じ……それがよく分からない。 「人生って色々な要因が重なって移ろって変わっていくものでしょ?なんかそういうとこ似てるなって思って」 「……考えたこともなかった。すごいね、有彩ちゃんは」 素直に出た感想だった。 今度は有彩ちゃんが照れているのかちょっと顔が赤に染まっている。 「ありがとう!」 そうまっすぐな目で有彩ちゃんは言う。 素直な子だと感じた。 「実はこの体育館にあるピアノ……私のお姉ちゃんのものだったの」 「え…?」 衝撃の事実である。 卒業式でのピアノを私が弾くのはやっぱりおこがましいのでは? というかなんで有彩ちゃんのお姉さんのピアノがこの学校にあるのだろうか。 「なんでって顔してるね?まぁ、結論だけ言うと……お姉ちゃん、交通事故で亡くなっちゃったの」 「……え?」 「もともとこの学校の生徒だったんだ。もうすぐ卒業式をピアノ伴奏をするってときに亡くなっちゃった。で、その時お姉ちゃんが愛用してたのがこのピアノ……。このピアノはお姉ちゃんの形見みたいなものなの。でも、家に置いておくより本来演奏するはずだった体育館に置いてもらってたほうが……お姉ちゃん、喜ぶんじゃないかって話になってここに置いてもらってるの」 ……私は思っていたより責任の重い役目を担っているらしい。 「だから、どうしても今回のオーディションに勝ちたかった。ピアノの伴奏がしたかったけど……」 私なんかが受かってしまった……ということか。 今からでも、伴奏者を変えてもらうことはできないのだろうか。 有彩ちゃんが弾いたほうがお姉さんだってきっと浮かばれる。 「でもね、私麻里ちゃんのピアノを聞いて……私じゃダメなんだって思った」 「そんなことない……有彩ちゃんの方がオーディションのとききれいに弾いてた」 これは本当のことだ。有彩ちゃんの音は繊細で相手に気持ちが伝わりやすい。そして心にすっとメロディーが入ってくる。 「違う。キレイとか上手とかそういう話じゃない」 何が違うのだろう。 ピアノに求められるものは上手さだけじゃないのだろうか。 「麻里ちゃんのピアノはお姉ちゃんのピアノに似てるんだ」 ……似ている? 「お姉ちゃんと同じなんだ。優しくて、感情豊かで……本当に楽しいんだなって感じられる……私、昔はよくお姉ちゃんと一緒に演奏みたいなことをしてたの。お姉ちゃんがピアノを弾いて、私が歌う。あの時間が大好きだった……だから、さっき麻里ちゃんがピアノを弾いていたとき思い出しちゃって、つい歌っちゃったの」 何も言葉が紡げない。 言おうとしている言葉すべてが水の泡となりそうだ。 私がこのピアノを弾いて有彩ちゃんのお姉さんは嬉しいのだろうか? 本番にミスをするかもしれない。 全てを台無しにするかもしれない。 それでも……いいのだろうか? 「わたしでいいの?こんなにミスしてばっかりで……ろくにみんなの歌に合わせられたこともないのに?」 声が震えているのは明白だった。 怖いんだ。 責任の重さに吐き気がしてるんだ。 今すぐにでも気絶したいと思えるほどには。 「ミスしても、合わせなくても……わたしたちが、歌い続ければいい。人生は大抵問題を抱えていても進んでいく。#や♭が加わっても演奏が続いていくのと一緒だよ」 「……そういうものかな?」 「そういうもの!」 例えが少し斬新で分かりづらい気もする。 だが、なんとなく言いたいことは理解できた。 「黒鍵だってピアノの演奏をするうえで大事なものであるのと同じように、失敗とか予想外なことも全部人生に必要なんだと思うよ」 「その例えだと黒鍵があんまり良くないみたいに聞こえちゃうよ?」 「そういうことじゃない!たとえだから!」 少し怒ったような、ムキになったような声と言動で有彩ちゃんは言う。 「……まぁ、言いたかったことは言えたし……練習の邪魔してごめんね。私はもう帰……」 「まって!」 反射的に私は呼び止める。 体は勝手に動いた。 「良ければ、歌ってくれない?歌と合わせて練習したくて………」 振り絞った声だ。 やっと出てきた懇願の声。 有彩ちゃんは振り返ってこちらを向いて言った。 「……喜んで!」 有彩ちゃんの目には光が反射していた。
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