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「もっとちゃんとしたのが良かったんだけど…」
妻の一言が原因である。
つまらない。本当に犬も喰わない喧嘩。
昨晩、結婚記念日の前日のこと。
前々から欲しがっていた、ロボット掃除機を買って帰った。妻が『なんでもいい』と言っていたから、家電量販店に数度通いスペックと値段を鑑みて決めた品。
我が家はマンションで段差は少ないものの、後に引っ越しがあっても良いように、ある程度の段差は越えられるものを購入した。
有名なメーカーではない。しかし、水拭きもしてくれるタイプで、その水の補給もタンクからしてくれる賢い子なのだ。
我々の結婚記念日は大抵日曜日である。なので、妻の体調が大丈夫ならちょっと良いものを食べに行こうと約束していて。だから昨晩、閉店時間ギリギリに家電量販店に駆け込んで、もう買うものは決まっているからと、それでも店員さんにはちょっと嫌な顔されて。
なんとか買って、買ってやって、両手に抱えて持ち帰って、よたよたしながらドアを開け、喜んでくれるかなぁなんて、満面の笑顔で妻に帰宅を告げた。
「もっとちゃんとしたのが良かったんだけど…」
もちろん怒鳴ったりなんてしなかったさ。でも多少、ほんのちょっぴり不機嫌になってしまうのは、しょうがないじゃないか。
妻はなんでもよくはなかったのだ。しかし、それだって理解はしていたさ。だから吟味した、よくよく吟味した。それを、メーカーを見た途端にそんな、そんな事を言わなくたっていいじゃないか。
かなりムッとしたけれど、でも怒りを表には出さないように努めはした。
だってお腹に赤ちゃんがいるんだもの。妊婦さんはホルモンバランスがどうので、心が不安定なのだもの。
怒る代わりに、オレが購入したロボット掃除機がどれほど我が家にマッチしているのかを切々と説いた。有名メーカーの同価格の品と比較して、どう優れているのかを説明した。
「……うん、ちゃんと考えてくれたんだね。ありがとう」
この表現の枠を優に超えたニュアンスが、果たして伝わるだろうか。このそっけない『ありがとう』が、実は全然ありがたがってないと表情より明確に伝わる、この『ありがとう』が伝わるだろうか。
言語的コミュニケーションであるくせに、非言語的コミュニケーションを無法なまでに捩じ込むこの『ありがとう』が。仕方ないじゃないか、オレの心をいたく傷付けた。
妻はロボット掃除機のスペックなどに毛ほども興味がない。そして興味がないからこそ、有名メーカーのもの以外は、妻にとってニセモノでしかなかったのだ。
ルン◯以外は、気に入らないのだ。
そこの値段差と、乗り越えられる段差が、気にならないのだ。
「ごはんたべた?」
「ウンタベタ」
「お風呂沸いてるよ」
「ウンハイル」
「ねぇなんか怒ってる?」
「オコテナイヨ」
「ねぇ、明日なんだけど…」
「ウン雨ダカラ。デモセッカクダシ、チョット良イモノ、デリバリーシヨウヨ」
「ねぇやっぱり怒ってるでしょ?」
「オコテナイオコテナイヨ」
流石に態度に出てしまうのはしょうがないだろう。しょうがなくないだろうか?しょうがなくないんだよなぁコレが。
翌朝、朝食を食べて早々『ケーキ買テクルネ』といって、まだどこの店も開いてないような時間に出ていくオレを妻は止めなかった。
別に妻の態度に怒ってる訳じゃない。
怒ってるとしたら、結婚して子供ができてまで、たった一人の女性を扱いきれない自分の不甲斐なさにこそ。
それだけなんだ。
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