ままである幸福

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 ぐしゃぐしゃと纏まらない頭。文庫本から目を離し大きな深呼吸をひとつ、ふたつ。  当然心に平静など訪れない。みっつで止して、いっそ両目を瞑ってみた。どうせ文章など入ってこないのだから。  そうして視界を閉じると、ありありと思い出す。  付き合って最初の大きな喧嘩は、プリン。  当時はまだ別々に暮らしていた。風邪をひいたというのでお見舞いに、好きだと言っていたプリンを買っていった。  どういうのが好きか分からないので、コンビニのプリンを、安いのから高価いのまで複数種類揃えた。それでも所詮コンビニ。五種類で精々二千円しないくらいである。おかゆや風邪薬、他の日用品を合わせても五千円しない。 「そーゆーワケわかんない物の買い方しないで」  事前連絡なしだったのも良くなかったのだろう。付き合いたてで、散らかった部屋を見られたくなかったのかも知れない。  とにかく嫌がられた。哀しかった。  次の大きなソレは、いよいよ同居というその一ヶ月前の事である。  一緒に暮らすにあたってと、オレは趣味のプラモデルを全て処分した。いい大人が休日にちまちまと、なんて、家庭を蔑ろにする人間と思われたくなかったのだ。  この頃はお互い多忙で休日しか会えなかったので、せめてもという事で毎週末デートしていた。  当然プラモデルをじっくり造る暇などなく、ただ組み立てるだけでは何にも面白くないので、そもそもほとんど積まれているだけの状態だったのだ。 「アナタがソレやっちゃうと、ワタシも趣味の物を処分しなくちゃいけなくなっちゃうじゃん」  そんな事はいってない。オレが勝手に捨てただけだからと、伝えたところで伝わらず。 「いいよ別に。いい年齢してって、私もそう思うし」  好きだったアイドルグループのグッズを全てバッサリ捨てたのだ。  後になって聞いた話では、どうやら処分自体は検討していたようで、同居にあたり互いの趣味の時間をどう擦り合わせるか、相談したかったのだそうだ。  相談したかった。のが、重要なのだ。 「貴方がそうやって空けてくれた時間を私だけ趣味に使う訳にいかないでしょ?」  落とし所を探る程度には、妻は私との時間を大切に思ってくれていたのだ。  そうして深々と頭を垂れ、どうか傍にいてくれろなんて一緒に暮らし始めた。  たら。  洗濯の仕方、食材の買い方、掃除に布団と、いくらでも小競り合いが起こる。  結局、気に障る方に合わせざるを得ないのが他人と暮らすということであり、大抵は妻の方がよく気が付く。手伝う手伝わないで多少の口論は起こるものの、最後に謝るのはいつもオレの方だった。  そんな我々夫婦の上下関係が決定的になったのは、オレが飲み会で吐血して倒れた時のことである。  緊急搬送された病院でスキルスとかいう胃癌だと言われた。胃が真っ黒で半年もたないなんて診断が下り、3日後に精密検査になった。  翌日、心痛な面持ちの妻を前にして、オレは重い決断を口にする。  中絶、についてである。  これについては申し開きもないし、責められようが詰られようが、正しい判断であると今でもそう思う。  入れ代わり立ち代わり、色んな者から『アンタもう死ぬよ』なんて、寄って集って言われたのだ。オレは仕方ないが、妻の人生まで巻き込む訳にはいかない。  保険金も雀の涙。情だけで子供は育てられない。なにより妻はまだ若いのだ。この時は仕事も続けていたし、立派に自立していた。  次を探すべきだと、そう伝えて。  精密検査後の、ことである。  ただの急性胃潰瘍だったのだ。  とんだ誤診であるが、医者を責める謂れもない。オレの胃の写真は、鑑別用にと見せられた胃癌の写真とそっくりだったし、素人目にみても『これはダメだ』と覚悟を決めるくらいに黒く爛れていた。  そんなこんなで、衆目の中、オレは床に頭を擦り付けて妻に謝罪し、再再検査に向けて静養している間中、叱られ続けたのであった。先生が『奥様、ご主人また胃に穴開きますよ?』と諭す程に怒られた。  以降、オレは妻に逆らっていない。これから死ぬ男の子を育てるつもりだった女性である。もう全て従い、この身を捧げる以外の選択肢はないだろう。  そして口論の代替がプチ家出という。これに関しては相談どころか誰にも話すことなど出来ない。オレは小さい人間である。
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