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耐えきれず、園乃は男の視線から逃げた。目を泳がせながら、たった一人の友達を想う。だが。それ以上に失いたくない。奪ってでも、欲しい、心の奥底から湧き出て、溢れる。それが本音だった。出会ってしまった。偶然同じ映画館にいて。偶然同じ映画を見て。同じところで笑って。同じところに感動して。そんな風に偶然が重なれば運命と言っていい。だってこんなに。初めて、好き。
唇を噛みしめる。息苦しいほど、鼓動がいちいち全身に響き渡る。
カバンから、ノートを取り出す手が震えた。ページを破り、ペンケースを開けて最初に触れたボールペンを取って書きつける。紙を丸めるように雑に二回畳んで黒い投函口に押しこんだ。あとも見ずに駆け去る。目の端からこぼれた涙の粒が、小雨に混じってアスファルトに落ちた。
水玉の傘と、白いブラウスの背中がみるみる小さくなっていく。やがて視界から消えるのをただ見送った。雨が弱まった空は、まだ灰色だが少し明るさを増したようだ。一息吐いて、男はポンチョの黒いフードを降ろす。
「アンタさぁ。なんでいちいち話しかけんのよ」
聞きなれた艶めかしい声が、呆れかえった調子で飛んでくる。
「姐さん」
振り返ると、黒いレースの縁取りの傘の下から、まつ毛の長い黒い瞳を細めて睨みつけられる。柔らかなカーブを描く豊かな黒髪は、黒いワンピースの肩から胸元に垂らされて仁王立ちを彩っていた。
「まどろっこしい。何? 本当の願いかどうか試してる?」
「あまり、後悔はしてほしくなくて。できれば」
唯一深紅の唇が、片端だけ持ち上がった。
「アンタがしてるから?」
目を伏せるしかない。
「何かを選べば、選ばなかった方を失うから。何を選んでも、するでしょ、たぶん。でも。精一杯選んだ結果なら。少しはマシかもしれない、じゃないですか」
「したいだけさせればいいじゃない。人間だけが、もしればたらなら、ごちゃごちゃ考えてウジウジすんのよ」
積もる雨粒を振り払うように、黒いレースの手袋をまとった手でくるりと傘を回転させる。男に被害が及んでも意にも介さない。
「どうせなら、想像力は。もう手が出せない過去じゃなくて、今から未来に使やいいのに」
「そう、なんですけど」
ガードが間に合わず、雫が目に入ってしまった。拭いながら小さく呟く。
「みんな、姐さんみたいだったら。前だけ向いて、いられるでしょうけど」
気配を感じて、男はもう一度ポストに手を伸ばした。色は、赤に戻っている。人差し指に、さなぎから羽化したての蝶の成虫がとりついていた。まだ羽も縮んだまま、弱々しい脚で、小雨に落とされないよう、懸命にすがりつく。
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