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「おはよ」
朝のホームルームを終えて、教室を出たところで園乃が待っていた。一目見て、丸いメガネをかけ直して改めて、マリコの声が弾む。
「おはよう。髪、ずいぶん切ったね! ガラッとイメージ変わったけど、短いのも似合うよ」
「ありがと」
耳が出るほど短くしたのは子供の頃以来だ。
「なんか、心境の変化?」
「うん。あのさマリコ。あたし、クラスに友達作るよ。できるかどうかわかんないけど、努力してみる」
意外そうに眉を上げた後、マリコの顔に笑みが広がった。
「そう」
「だからあたしのことはもう、気にしなくていいよ。なかなかできなくて、一人でいても、ほっといていいから」
「いやそれは気になるでしょ」
「まあ、なるべく早くできるように、頑張る」
「うん。応援しなくちゃなんだろうけど。寂しいな」
率直な言葉が嬉しくて、でも同時に胸が痛んだ。
「あたしも、だけど。ずっと、マリコに甘えててもさ」
「わかった」
じゃ、と園乃に背を向けたところですぐ、マリコが振り返る。
「あ、でも。何かあったらちゃんと話してよね。いつでも。結婚しても仕事続けるし」
「うん」
と、一歩踏み出したかと思えばまた振り返る。
「なんにもなくてもしゃべりにきてね」
「うん」
「あ!」
三歩進んだところで、三度振り返られた。
「ね、これだけ聞いてこれだけ。ほら、黒いポストの都市伝説の話したじゃない。あれね、別バージョンあったの。呪いじゃないんだって。黒いポストに投函したら、どんな願いも叶うんだって。どっちなのかな」
興味津々に考え込むマリコに、園乃は呆気にとられていた。呪い、じゃない? 黒いポストは。どんな願いも叶えてくれる? なら。
「マリコ。幸せになるよ、絶対」
「え」
「あたし。超強力なおまじない、しといたから」
あの雨の日、園乃がボールペンを走らせたノートの紙片は。
『
<ごめんなさい。私は忘れるから。マリコを幸せにして>
と記されて黒いポストに消えた。
「え、何それ、どんなの?」
「ヒミツだよ、そんなの」
「教えてよ~」
「教えたら効果なくなるじゃん」
「そっか。でも、残念」
マリコがしゅんと肩を落とす。
「私だって、かけたげるのにな。じゃあ、強力かわかんないけど」
せっかく歩いた三歩の距離を戻って、マリコが園乃の肩に手をかける。
「いい友達、できるよ。きっと」
ぽんぽんと叩いてくれる手のひら。心からの真っ直ぐな言葉と笑顔。陽だまりみたいなマリコは、いつも園乃を芯から暖めてくれる。泣きたくなるほど。両腕を伸ばして、抱きしめた。
「マリコ。おめでとう」
わ。
自分の教室に戻る園乃の目の前を、ついとクロアゲハが横切った。
キレイ。
ピンと開いた黒い羽に、一筋だけさしたオレンジが鮮やかだ。はためく姿に見惚れながら、園乃は、窓の外の梅雨の晴れ間を見上げ、映画の最後に呟くヒロインを思い出した。
「運命は、何度でも、訪れる」
ずっと、カッコいいな、と覚えていたセリフだ。
実らない結末まで運命だったのかもしれない。あの映画で出会ったんだから。
長雨がようやく上がり、部屋に閉じ込められていたカップルもやっと引っ越しできるのだが、出ていくのは彼女だけなのだった。新しい住まいに旅立つ彼女は、まだほの暗い空に向け独りごちる。
運命は、何度でも――。
クロアゲハが美しい羽を伸ばして、園乃の脇を通り抜け、眩しいくらいの青空に舞い上がった。
終
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