幸、女学生の頃

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「お、全部飲んだね。美味しかった?」 「すごく美味しかったです。何杯でも飲みたいくらい。ありがとうございます」 「それはよかった。さっちゃんのお父さんも見つかったよ。連れてってあげるね」 「えっ、でも、」  そこまで甘えていいのかと迷う幸の顔を健ちゃんがのぞきこむ。 「どうせ買い出しのついでだから。それに一人で歩いていたら怖い人に攫われてしまうよ」  確かにひとりで向かうのは怖すぎる。頷くと健ちゃんは満足したように口角をあげた。  背の高い健ちゃんと並ぶと、小さな幸はまるで子供の様に見えた。いや、実際子供なのだけどそれが悔しくてならない。いつか侑子さんのように綺麗で自立した女になりたい。  それは幸に訪れた自立への一歩であり、初めての恋であった。  健ちゃんは侑子のように手を繋ぐことはなく、だけどすぐそばで守るように幸を父の元へと届けた。まるで自分がお姫様になって王子様にエスコートされているようだとうっとりしてしまう。  この時間が永遠に続いてくれればと願ってしまう。  だけど父はさほど離れていないカフェの前で幸を待っていた。夢のような時間は一瞬で終わってしまう。  がっかりした幸に気がつかず、健ちゃんは「さ」と幸の背中を押した。 「これでさっちゃんのミッションはおしまいだね。よく頑張りました」 「あの」  また逢いたいといいたいのに言葉が出てこなかった。  こんな子供の相手を健ちゃんが喜んでしているとは思えないから。迷惑そうな表情が浮かぶのが怖くて、幸はその言葉を飲み込んだ。 「ありがとう」  そう伝えるのが精一杯だ。  こんな場所に一人で来た幸にびっくりした父は何度も健ちゃんにお礼を言い、すぐに幸を連れて帰路へとついた。  帰り道、父の後ろをついて歩きながら今日のことを何度も反芻していた。  クリームソーダの美味しさはもちろんのこと、侑子の華やかさや健ちゃんのことを何度も何度も思い出しては胸をときめかせた。  だけど女学生だった幸には父のようにカフェに通えるはずもなく、健ちゃんに逢いたくても叶わない。こっそりと覗きに行ったことはあったけど、お店に入る勇気もなく窓の外から健ちゃんの姿を探した。  健ちゃんはいつも優しそうな微笑みを浮かべ、水槽の魚が泳ぐようにすいすいとお店の中を動く。当然幸の存在に気がつきもしない。  幸は早く大人になりたくて仕方がなかった。  何年かが過ぎた。  母は学校を卒業した幸をすぐに結婚させたがった。だけど家庭に入り、恨むように夫を待つだけの女にはなりたくなかった。母のようになりたくない。嫌悪とは違うけれど、何故意地になったように家にこもり外を知ろうとしないのか幸には理解ができない。  侑子さんのように自分の足で立ちたい。そして健ちゃんに堂々と会いに行きたい。幸の意思は変わらず、母は困ったように父に助けを求めた。 「いいんじゃないか」  元々奔放な人だからか、父はあっさりと幸の意思を受け止めてくれた。 「もう時代も変わっている。女性が社会に出るのも当たり前になるかもしれない。やりたいんだったらやってみればいいじゃないか」  父は幸の頭に手を置くと「なあ」といたずらっ子のように目を細めた。 「父を探しにカフェまで一人で来るような子だ。きっと大丈夫だ」  こうなれば母が逆らうはずもない。  父から贈られた桃色のスーツを着て幸は社会人になり、ようやく健ちゃんに会いに行ける。
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