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黒 彼は小学校の頃に女子に悪戯されてから目が見えない。 当時のクラスメイトからは、とにかく「どん臭い」と男子からイラつかれたり、「顔ガキもい」と女子から鳥肌を立てられていた。担任の女教師からも「なんでいつもウジウジしてるの?」と眉間に皺を寄せられていた。 嫌われ者として小学校の五年目を迎えたある日。 クラスの中心にいる女子の「驚いた時のリアクション見よーー」という一言がきっかけで、昼休みに校内の菜園へ連れ出された。  男子たちに羽交い絞めにされながら足掻く彼へ「えい」と女子が虫眼鏡を向けると、太陽光が彼の眼球を貫いてゆく。 同い年の男子の腕一つ振りほどけない非力な腕力は、悲鳴と供に視力を手放した。  お目当てのリアクションが見れた一同は「やったやった」と大はしゃぎしながら退散し、「ぅぎぃいひぃい」と声にならない声を漏らして悶絶している彼が残された。  その後になって教師から発見されたが、目撃者がいない中での騒動だったためか。彼が勝手に虫眼鏡で太陽を覗いた、という結論になった。  迎えに来た両親へ必死になって真実を伝えた後、向こうの両親と彼の両親が話し合う場もあった。 真っ暗で何も見えないが、女子と向こうの親が話す声を聴いている間中、不思議と相手家族の笑顔が思い浮かばれた。少なくとも、反省の類が感じられる声色ではない。 一方、自分の両親は縮こまっている様な絵面が潰された目の裏側へ浮かんだ。彼の両親は元来内弁慶な性格だったのもあっただろう。 自分より二十㎝は背が高い彼女の父が「なんの証拠もないのに、私の大切な娘を犯罪者にするつもりですか?」と静かに威圧する姿勢へ、どもりながら愛想笑いを続ける父。 自分よりも上等な衣服に身を包んだ彼女の母の「うちの子に勝手な疑いをかけて心を傷つけたことを、どう責任とれるんですか」と言葉巧みな問い詰めに、これでもかと言う程に理解を示して服従した。 おかげで「勝手に太陽を覗いた日頃から間抜けな男子がパニックになって人のせいにした」という結論の確認で、スムーズに事態は収束した。  真実は違うから、という一本鎗で担任の教師に泣きついたが「証拠がない」という現実と、「あなたの言う通りにしたら、あなた一人のために四倍の生徒の将来を傷つけることになるんですよ」と諭された。 口下手な彼なりに必死になって食い下がったが、結果は変わらなかった。 それからというもの、両親が我が子の目が見えないという事実を悲しんだ。 続けて、先日の会合で互いが相手の前で怯えていたと息子の前で罵り合い、どっちの方が怯えていたかと喧々諤々やり合いながら、ささやかな示談金を日々の生活で消費した。 そして彼が17歳を迎える頃、両親に変化が訪れた。 「ねぇ、いつまでいじけてるの?」 二人とも、同情に飽きた。 二人は元々人とのコミュニケーションが苦手な性格で、双方ともに実家の家族や親族との付き合いはなかった。三十を過ぎて婚期を逃すかと焦った童貞と処女の結婚。家族と話すよりもサブスクリプションサービスで映画やドラマを見て過ごすのが好きだった。 にも拘わらず、彼の面倒を見てコミュニケーションを取り続けるハメになった。 「普通の中学生なら、もう手がかからないんだけどね」 手がかからなくなる日を夢見て育児疲れを堪えていた二人は、育児に終わりが見えなくなった現実へ落胆した。 しかし、相手の女子生徒の事は攻めなかった。もし責めたのなら、諸悪の根源が彼女ということになる。そうなっては、自分達は諸悪の根源を前に怯えて媚びて笑っていただけだと認めることになる。 元々この父母は「いじめられてる人ってなんか原因があるんだよ」と胸中でせせら笑いながら青春時代を過ごしてきたタイプだ。 二人とも充実した思い出や交友関係こそ何一つもないが、『イジメに合わなかった』という事実は、二人にとって確固たる誇りだった。 自分が学校という空間で、いじめに遭わない安全な社会的地位を努力によって勝ち取ったのだと――そう自負していたから。 勉強もスポーツも恋愛も頑張らなかった二人にとって『イジメに合わなかった』という事実は、唯一にして大切な思い出であり、努力に基づく貴重な実績に他ならない。 すると息子は親へ「なんで味方になってくれないのぉ」と鼻水を垂らして泣きわめいて以来、すっかり彼は引きこもるようになった。 元々勉強をサボりがちなため盲学校で落ちこぼれ気味。自分から人に話しかけることもせずに孤立していた彼を、無理して通学させようというクラスメイトもいなかった。 ネガティブな性格の彼は、青春を謳歌している姿を想像しては、絵空事の登場人物の一人に自分自身を挿入していた。 目さえ見えていれば、俺だってそんな青春を送れていたに違いないのに――と、主犯格の女子を恨み続けた。  真っ暗闇の中に落ちた気分だ――と、暗い部屋の中でうずくまっていた。  これが自分の生きる場所なのか? この暗いどん底が、自分の人生を過ごす空間なのか? いや、そんなハズはない。人は誰だって日の目を浴びる権利がある……。  と、固く思いつつも、暗黒の日々からの抜け方は見当も付かなかった。 それから成人を迎えた頃に、少しずつ変化が訪れていた。 アイドルにのめり込み始めたのである。 鼻水を垂らして怒鳴りつけてきた肥満児に「いつか私たちに暴力とか振るうんじゃないかなぁ?」「ねぇ、そんなよ嫌だよぉ? ちゃんと何とかしてよぉ?」と父に怯えていた母は、息子のエネルギーが他所に発散されるなら幸いと、小遣いを与え続けた。 貰った小遣いで購入した楽曲を通して、大好きな彼女の声を聴けば日々のストレスも和らいでいく。  目が見えない自分は彼女の姿がわからない。  それでも、彼女の歌声や出演したラジオ番組、配信動画を通じて声を聴き続けていれば、おのずと彼女の麗らかで優しい姿が瞼の裏へと浮かぶ。 『』『もう過去にとらわれない』『私たちを照らしてくれる太陽があるから――』  彼女自身が作詞作曲を務めた曲では、ポジティブな言葉達がやんでいた自分の心を深く癒してくれるのを実感した。  心がほぐれていくにつれ、引きこもりから脱却しようというエネルギが湧き上がってくる。我が子が社会問題たるニートである、という事実に酷い劣等感を抱いていた両親は彼の変化を歓迎した。  元々アイドルヲタクという人種を現実で報われない落伍者の現実逃避が如く蔑んでいた二人なので「どうせ応援するならスポーツとかにすれば?」と提案したが、彼の心は揺らがなかった。 「いや、僕は彼女の声で立ち直ったんだ」  力強く、熱弁をふるい続けた。 「彼女が僕に、光を与えてくれたんだ」  もっとも、頼れるものなら藁でもすがれという心境。両親も、彼がファンクラブへ入会すること、掲示板へ応援の書き込みをすること、配信へ投げ銭することを補助するようになった。  すると今度は『握手会へ行きたい』と言い出した。さらに、その準備とばかりに白い杖を突いて一人で散歩に繰り出すことも増えた。  どこに行っているか興味はないが、なんにせよ出かけてくれるのは良い傾向だと、一層歓迎し、例の握手会にも車を出して彼を連れ出した。    当日。期待に高鳴る旨を抑えて彼は会場を歩いていた。  ようやく、ようやく憧れの彼女と会える。手で触れあえる。残された聴覚で感じることができた彼女を触覚、何なら嗅覚でも感じることができる……。  喜びに打ち震えながら、今後の人生を思う。  考えれば自分は、ずいぶん長いこと過去に囚われていた。それではダメだ。これからは前を向かなくてはいけない。家に帰ったら、就職先や就労支援について調べよう。  今の自分は目の前が真っ黒でも、未来は明るくなっている。そして、明日からは自分も周りほ人を笑顔にできるような人間になろう――。  そして、いざ、お人よしな男の番が来た時である。 「――っひ」 彼女が息を呑んだ声がした 「どうしたの?」  そうか。優しい彼女のことだ。目が見えない自分を心配しているのか、緊張してしまったのだろう。 「大丈夫だよ。目が見えなくても希望は見えているから」  彼女のオリジナル楽曲のフレーズを借りて、彼女の心を解そうと試みる。 「いやぁああ!!」  しかし、まるで効果がない。  どころか、ますます声に怯えがあふれている。 「目が見えなくても問題ないよ。君が誰だかわかるから」 「やっぱり!!」  信じられない程にヒステリックな声だ。今まで、何万という彼女の言葉を聞いてきたが、こんなに感情的な声色を聞いたのは初めてだ。 「分かってるんだ! わかってたんだ!!!」  怯えがにじみ出た叫び スタッフに羽交い絞めにされた。 「ちょっと、ちょっと、どうしたんですか、一体なにが――」  スタッフやマネージャー、関係者達が目に涙を浮かべて怯えている彼女の周りに集まる。 「コイツ、私が……小学校の時に……!!」  ここでようやく、彼は「自分に光を与えてくれた」と熱弁していたアイドルが、自分を暗闇に追いやった女子と同一人物だと気が付いた。  瞬く間に彼はスタッフによってバックヤードへ連行され、あろうことかそのまま警察の手に預けられることになった。  何事かと慌てて確かめてみると、彼女は丁度ストーカー被害に遭っていたらしい。  彼女とて小学校の時に菜園で純粋な子供の好奇心から行った実験を覚えていたらしく、ストーカーの出現と同時に「あの時のあいつが、私を恨んで――」と推理し、家の中で震える日々を歩んでいたそうだ。  そして証拠はないが証言がある、とのことでトントン拍子で容疑者扱いを受けた。 「ちょっと、待ってください――」  取調室で。どもりながら必死に抗議した。 「僕は目が見えないんです、それでどうやって彼女の存在を認識するのですか――」  だが、芳しい結果は得られない。 『歌声聞いたら気づくんじゃね? だって目が見えない分、耳がいいんだろ?』  彼は目が見えないからSNSの書き込みは見なくて済む。しかし、取り調べの警官たちが、しっかり言い聞かせてくれた。  引きこもりの彼にはアリバイが何一つない。両親との関係が綿密なら、部屋の中に籠っていたと証言しただろう。  しかし、時折散歩に出る様になった息子を横目で流しつつ、大好きな映像作品に没頭していた二人は、息子がいつ外出しているかなんて知ったことではなかった。  彼がストーカーとして決着すれば警察の仕事は少なくなるし、ニートが“お勤め”に出るという流れも公共の福祉に叶う展開となった。  前述した様に彼は口下手である。取り調べの席で、一切自分の潔白を表現できなかった。  前述したように、彼はお人よしである。「なぁ、ここは下手に黙秘して拘留が長引くよりも――」という口車にのって、まんまと”自白”を行った。  そして完全に彼の命運は決まったのである。 (憎き彼女には「証拠が無い」の一辺倒で自白を引き出せずに逃げ切られている経験と照らし合わせればわかるような話だが)  裁判官や検察官にすれば、たくさんの中の一つ。弁護士からすればたくさんの中の一つの中でも金にならない一つである。  円滑に進んで一審で有罪判決を得た。取調室で警察官から言われた刑期よりずいぶんと重かったが、いまさら手遅れだった。  話題の人気アイドルがストーカー被害――世間の注目を集めた事件の犯人として、彼は連行されてゆく。 「目の前が真っ暗でも希望は見えてるんだろ~~?」  飛んでくる野次に対し、このタイミングで己の人生に対する我慢の限界を迎えて彼は「ふぎぃぅうう」と奇声を上げてキレた。  飛び掛かろうとしたのを制された瞬間がメディアによって放送された時、『やっぱり理性をコントロール出来ないんですね』『こいつ一生世に出したらいけないクズじゃん……』とコメント欄がにぎわった。  こうして彼の人生は元ある場所の、暗い闇の中へ戻っていったが、とりあえず「自分も人を笑顔にしたい」という願いは叶った。  ちなみにストーカーは、これ幸いとばかりに足を洗ったため、謎のままである。
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