ささくれ

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 目を眇めても、光など見えない。武仲の見る幻覚ではと思うと背筋が凍る。この真っ暗闇に閉じ込められそうで。  カツカツと革靴が硬い石床を叩く音が周囲のトンネル壁に反射し拡散し、奇妙な唸りとなって耳に戻ってくる。進むにつれ、自分の吐く息さえもハウリングしている気がした。石に囲まれたこの場所はじめじめと冷たく、足元から冷気が立ち上る。つなぐ手だけが暖かい。 「武仲、帰ろうぜ」 「もう少しだ。そろそろお前にも見えるだろ」  そう思って顔を上げ、目をこらして初めて、闇の中で白くぼうとした光を見つけることができた。 「本当だったのか」  それとも俺も幻覚をみているのか。 「出口かな」  少しだけ早足になる武仲に慌ててついていき、そして闇が切れた。その景色に困惑した。たくさんの木々が実をつけ、花が咲き乱れている。春のように何かが沸き立つ。 「なんだここ」 「桃源郷感があるな。まじで異世界?」  武仲の声は心持ち嬉しそうだが俺は本能的な気味悪さを感じた。  そう思えるほど、植生がおかしい。一番手前に実るのは桃や山葡萄で、少し先には林檎やバナナ。椿とひまわりが咲き、奥に行くほど見たことがない植物が花や実をつけている。俺はここをとても気持ち悪く感じる。武仲は浮かれるようにすたすたと先に進み、見たことのないオレンジ色の実をもぎ、止めるま間なくかじりつく。 「おい武仲! 吐き出せ! 毒かもしれないぞ?」 「めっちゃ美味いよ。お前も食べてみたら?」  本当に美味そうだ。けど、怖気が立つ。 「遠慮しとくわ。それより早く帰ろうぜ」 「嫌だ」  武仲はきっぱりとそう述べ、なんでもないことのように手近にあった緑色の実を追加でもぐ。 「おい、やめろよ」 「1つ食べたら2つも3つも同じだよ」 「なあ武仲、俺は早く帰りたい。ここはなんだか嫌だ」 「こんなに温かいのに?」 「暖かい?」  改めて思い至る。ここはとても暖かい。トンネルの外よりもずっと。それに花や木々は綺麗だ。でもそんなことよりここは不自然だ。冬と夏の花が同時に咲いているから? 秋と春の実が同時に実っているから?  違う。そんな目に見えた不自然さじゃない。心の底から気持ち悪かった。 「坂巻。先に帰れよ」 「お前一人おいてけないだろ」 「大丈夫だよ、トンネルは一本道だったから、振り返らずにまっすぐ帰れば戻れる」 「振り返らず?」 「そう、帰るときはトンネルを出るまで振り返っちゃ駄目なんだよね、多分」  武仲の呂律は少し怪しかった。放ってはおけない。そう思った。けれどこれ以上居続けることは生理的に無理だった。 「必ず帰れよ!」  そう言い捨てて振り返る。トンネルはすぐ近くで空間を切り取るように真っ黒く口を開けていた。怯んだが、それでもここよりはましだ。  濃くなった草木を掻き分ける途中、左指の人差し指に痛みを感じた。思わずそちらを向けば檜葉(ヒバ)のような木が生え、その表面の樹皮は入口のコンクリのようにひび割れささくれていた。それがきっと、指に刺さったのだろう。急いでトンネルに飛び込めばその先に光が見えた。最早一秒でもここにいたくはなかった。光に向かって一目散に駆け、トンネルから出た時、街灯の青白く冷たい光にほっと胸をなでおろした。そこは正しく寒く、コートの襟をたてれば背後から生ぬるい風がふいてうなじに触れる。  思わず振り返りそうになり、思いとどまる。  振り返ってはだめだ。武仲のその言葉は棘のように心に突き刺さっていた。チクリとした痛みが指先を襲う。改めて電灯の下で見てみれば、指先にトゲが刺さっていた。思いの外、深そうだ。あの檜葉に触れた時に刺さったのだろう。  武仲のことが気になりながらもアパートに戻り、ピンセットで棘を抜いて絆創膏を貼る。俺の指先もささくれていた。
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