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「武仲? 武仲いる?」
なんとなく、武仲が近くにいる気がした。おそるおそる奥に進めば、声が聞こえた。
「あれ? 坂巻? 帰ってきたの?」
ふわふわと空気を喰むような声が聞こえた。
「お前は帰らなかったのか?」
「ああ。久しぶりに休んだ気分だよ。ここの果物はどれも美味い」
そうして俺は声の主を見つけ、慄いた。
「坂巻もここの食べ物を食べたの?」
「いや」
食べてはいない。けれども棘が刺さった。
「じゃあ振り返った?」
トンネルに入る前、檜葉のような木のほうをむいた。あの檜葉は後ろにあったのだろうか。わからない。
「棘がささったんだ。これを抜いてほしいんだ」
「棘? もうここにいれば? 快適だよ」
「そんなわけにはいかないだろ。戻らないと」
「なんで」
何でって。俺は何であんなところで働いているんだ。ずっと働いていて、終わりがなくて、ただ、毎日を消費しながら生きている。
「ここは食べ物には困らなさそうだよ」
たわわに生い茂る果物。けれどもここは人間がいてはいけない場所だ。だから、武仲はすでに人ではなくなっている。武仲の体からはところどころから枝が生えていた。そのうちきっと、完全に木になるんだろう。そして新しい実をつける。棘がじわりと熱を持つ。俺も同じように木になるのかもしれない。ぶるりと背筋が震えた。
「嫌だ」
「そう? 楽しいよ」
「嫌なものは嫌だ」
「何で」
「……怖い」
「なってみれば悪くない」
そう呟く武仲はどことなく幸せそうだった。
「考えても見ろよ、ブラック企業で馬鹿みたいに働いてたって、過労死するだけだぞ」
「それは……でもここはなんだか嫌なんだ」
それは理屈ではなかった。この暖かい楽園のような場所はとても気味が悪く、今もすぐに逃げ出したい……気分でもないことにも気がついた。俺の左指先。すでに木になりたがっている部分はここを心地よく感じている。それを未だ人の俺の脳が激しく拒否する。
「棘を抜きたい。持って帰るつもりはなかったんだ。ただ、刺さって」
「……そう? どうしてもっていうなら刺さった木に謝ったら良いんじゃない? ここの木は嫌なことはしないよ」
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