ブラック企業から始めるマイライフ!

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『黒』 彼が務めている会社は、名実ともにブラック企業だった。 配属先の店舗は歓楽街の外れに軒を構えるカラオケボックス。 パワハラや時間外労働はもちろんのこと。そもそも親会社が反社会的勢力である指定暴力団のフロント企業であり、彼らが資金洗浄に利用している子会社(書類上は無関係となっているが)であった。 職場ではエリアマネージャーに書類で殴られた。 バイトの大学生達には「ああなったら終わりじゃん」と笑われた。 フリーター達からも言葉遣いこそ敬語だったが、明らかに見下されていた。 休日にマッチングアプリでマッチングした女性達からは、仕事内容と収入を少し話しただけで軽くあしらわれてしまう。 転職を考えるべきかとも思ったが、うまくいくわけがない――と思うばかりで行動に移した経験は一度もない。 彼は自分が劣った人間と認識しており、それに酷くコンプレックスを抱えていた。 何しろ就職活動も一次選考で不採用の連続。そもそも、アルバイトですら不採用の連続であった。 物忘れが激しく、コミュニケーションも苦手。とにかく面接ではミスを繰り返してばかり。いざ話してみれば相手の言っている言葉を理解するのに時間がかかり、自分の考えを言語化するのにも人一倍時間がかかるため「ちゃんと集中してる?」と訝しがられ、嫌われてばかり。 非常に勉強熱心な性格なので、就活生の頃は面接における受け答えの練習も人一倍続けていた。だがしかし、友達と遊で朗らかに会話する経験が少ないまま育った彼の喉からは、機械的で不自然な抑揚が付いた聞き心地の悪い声しか出なかった。型どおりの文言を、汗をダラダラかきながら唱えることしかできなかった。 痩せぎすの体から濃厚なストレス臭を放つ彼が、歯並びの悪い口から歯の浮くようなセリフを言う度に、面接官の顔は曇ってゆく。 セリフを言うだけで頭が一杯になる程の過集中を起こした彼は、面接官の不機嫌にそのなでは気づけない。しかし、自宅に戻ってから思い出して「あぁ」「ぁああ」と奇声を漏らし、隣人から壁を叩かれていた。 「あぁ、てんかんをお持ちなんですね」 時には履歴書を読み上げた時に面接官が『テイのいい口実を見つけた』とばかりに口角を微かに上げていることも気が付かなかった。  だから、こんな誰でも採用するようなブラック会社でしか自分は働けないのだ……。  そう導き出して納得はしている。ここで頑張って、身を立てるしかないと結論付け、這い上がる努力を重ねようと決めた。  神頼みはいけない、とビジネス本を読んだり空いた時間に資格試験の勉強を行ったりと、自己投資を続けた。心がくじけないように、ポジティブな歌詞が紡がれた音楽や自己啓発本を大量に摂取し続けた。  そうこうしている内に就職して5年経過したが、仕事では全く成果が出せてない。  店舗の売り上げは全く伸びず、日々上長から罵声を浴びていた。  時にはけいれん発作を起こし、バイトの女子大生から気味悪がられた。強い発作が出た時に助けを求めるも、日ごろ大学生の間で『チー牛おじさん』と呼んでいる社員の機械な姿に「ひっと」息をのみ、肩を震わせ怯えて逃げ出そうとするばかり。 結局、たまたま居合わせた客のサラリーマンが救急車を呼んでくれたため、適切な処置を受けられた。  暫く経った休職中。 「これ以上休むような奴は雇ってる余裕ないんだけど」と舌打ちまじりの電話を受けて、現場に復帰すると、前にもましてアルバイトのスタッフからは腫物の様に扱われた。 あらゆる物事へ打ち込んで都力をしても期待以上の結果が現れず、自分よりも努力しなかった人間が報われている事実に打ちひしがれる日々だった。 勉強をすれば自頭が悪い。特に文字を読むことが苦手で、小学校で読み解けるような文章問題が中学になっても出来なかった。 小学校で友達を作ろうとすれば、話題のゲームや漫画についていけずに余り物となった。 シングルマザーとして自分を育ててくれている母に勇気をもってゲームをねだることもあった。しかし「教団へのお布施が――」「先生が出馬するからその応援に――」等の理由で断られてしまう。 さらには放課後に『お前の親に俺の母ちゃんが変な宗教に誘われたんだけど』と激怒され、クラスメイト全員に囲まれた中で『よくも俺の母ちゃんを』と涙を流す同級生に、何度も何度も殴りつけられた。 (彼のけいれん発作は、この時に後頭部を殴られた後遺症による外傷性てんかんであるが、彼の知るところではない) 中学校で恋愛をして方お思いの相手に想いをつければ「なに俺の女に手ぇ出してんだよキモヲタがよ」と相手のカレシに呼びつけられてこっぴどく恫喝された。  うなだれて肩を落とした帰り道、戯れに軽くカレシが乗った原付で腰を弾き飛ばされアスファルトを舐めた時もある。 (彼の動きが鈍いのは、この事故の後遺症で膝の可動域が不自然に狭まったためだが、立証できる証拠はない) 高校で自分を変えようとテニス部への入部を申請したが、ゲーム同様に親からラケットやユニフォームを購入するためのお金を貰えず『どうやって練習するつもり?』と困った先輩と顧問に窘められ、断念した。 こうして貧乏の辛さを身に染みて味わった彼は、自らの生涯賃金を上げるべく大学への進学を決意。塾どころか参考書も変えずに勉強したものの、学習塾や通信教育でしっかりと努力を行っている者達が、付け焼刃の努力に敗れる程に現実は捨てたものではない。  彼が希望した大学には、塾の仲間や教師、家族達と協力して受験戦争に挑んだ者達の努力が実ってゆき、一人の力の無力さを己が人生で知った。(もっとも「いや、これは単に自分の努力が甘かっただけだ」と、耳障りがいいことを自慰的に口走って浪人を決めた彼自身は正確には理解できていなかった様だが) 一浪して入った大学で、社交性を身に着けるためにもサークルへ入ろうとしたが、世間で『F欄』と揶揄されている彼の大学にサークル自体がなかった。 では自ら立ち上げよう――と発起しかけたが、勉強と母親の宗教に付き添うだけで19年の人生を終えている彼に立ち上げられるサークルなどありはしなかった。 では代わりに、とバイトを始めたが、前述したとおりの顛末。居酒屋、ファミレス、コンビニ、書店……。あらゆる店舗が、彼の侵入を許さなかった。 なんとか粘ってスーパーの朝勤に採用された二年目の秋。さぁバイト仲間を作るぞと息巻いたが、そこにいたのは5,60代の“ワケアリ”と見受けられる独身の男女達だった。 夕方や夜間の時間帯には大学生も複数在籍していたが、クセの強いパチンコ狂いの風俗好きな壮年男性や、癇癪持ちで誰彼構わず甲高い声で突っかかる初老の女性スタッフに嫌気がさして逃げたらしい。 なら自分もと思って大学の時間割の都合と理由をつけて勤務シフトを変えてもらおうと企てたが、既にその時間帯の人手は足りているらしく「あーー、だったらもうバイバイしかないかな」と店長に苦笑いされた。 結果として、彼は実家暮らしで浮いた金を風俗につぎ込んでいる『子供部屋おじさん』や、厚化粧でも隠し切れない程に期限の悪さを滲ませている『売れ残り婚活女子』といったバイト仲間に顎で使われる日々を過ごした。  こうなっては仕方ない。しっかり就職活動を頑張って、職場で同僚達と友情を築こう。あわよくば、社内恋愛なんて……と思いを巡らせていた矢先である。  彼の母は亡くなってしまう。享年67歳であった。 ここで彼は、呑気に構えてもいられなくなってしまう。母親が所属先の宗教団体相手に残した、莫大な借金があったからである。 法知識があれば相続放棄なり何なり手は打てたし、金があれば頼りになる弁護士を雇うなり出来たのだろう。だが、どちらもない彼は堅気かもわからない債権者との示談に応じた。 結果として借金は回ってこなかったが、住む家も預貯金もすべて相手に奪われた。残ったのは世間から『F欄大学』とやらを卒業するために使った奨学金の返済だけである。 だが、自殺を選ぶことも破産申請も選ばなかった。 この頃からだろうか。ジワジワと彼の心が、二つに思考に侵食されてゆく。 一つは、根拠に基づいた悲観的な思考。 どうせ、続けても失敗する――失敗体験だけを積み重ね続けた脳みそは、彼が前向きな思考を行う度に抑うつ的な思考抑制を起こした。 彼が念仏の様に「諦めたらそこで」「あきらめないでどんな時も」と彼の口が唱え続ける度に、脳細胞は思考の停止を選択し続けた。 もう彼の脳味噌には『努力すると失敗する』という確かな事実に基づいた経験則が芯まで染みついていた。 『賢者は歴史に学び愚者は体験に学ぶ』と口にして、成功している人間たちの逸話を摂取し続けた。その度に「成功した人間と自分は違う人間だから、同じ結果になるわけじゃない」「他人の歴史と同じ歴史を自分が辿る根拠がない」という至極当然の事実に気が付いた。  そしてもう一つは、信念に基づいた楽観的な思考である。  確かに自分は物事が好転した経験はない。しかし、だからといって悲観的になってはならない、何故ならあきらめなければ幸福を掴み取れるからだ――という何ら根拠はないが強い確信に基づいた信念。ある種の信仰が現実に歪められようとする心へ反動の様に働いて、根を伸ばしていた。  折れそうになればなるほど、人間の生存本能と言うべき行動なのか「折れてはいけない」「続けていれば報われるはず」という発想がボコボコと脳裏へ湧き上がってゆく。  「後ろ向きなことを言っててもしょうがない」とワンルームアパートの一室で繰り返し繰り返し繰り返し唱え続けながら、退勤後の耳鳴りが止まない頭を抱えて『ビジネス検定3級』なる資格試験のテキストを読み込んでいた。  だが日々の長時間労働で疲弊した脳味噌では、椅子に座っているだけで何も学ばないまま時間だけを浪費するので精一杯である。  それでも、彼は止まらない。資格だけではなく、これからの不況を乗り切るには副業が必要だと小説を書き始めた。 『諦めたらそこで試合終了――』『運命に打ち勝つんだ――』  週に一度の休日、ノートパソコンにかじりついて小説の原稿という名の下に、支離滅裂な文字の羅列を書き連ね続けた。 『あきらめないでどんな時もぉぉお』  音感がなく音痴な彼が、調子っぱずれなメロディを口ずさみながらキーボードを打ち続ける。 その姿はまるで、ありもしない神を信じ、仏教の経文などと比べればなんの歴史もない呪文を唱え続けて、腹黒な教祖に金を積んでいた母と全く同じ姿であった。
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