浮ついた気持ち

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「ただいまー」  玄関の方から声がする。光臣が帰ってきた。帰って来てしまった。まだ心の整理は何もついていないのに。平静を保っていられるか、いつも通りいられるかどうかの自信がなくて玄関からリビングにまで近づく足音に緊張してしまう。 「ただいま」 「……おかえり。ごめん、ご飯作れてない」 「ん?うん。どうした?具合悪い?」 「うん……ちょっと」 「おかゆでも作ろうか?」 「ううん……ありがと、でも先寝るね」 「そっか。わかった。おやすみ」 「うん。おやすみ」  ドラマや映画で見るような「あんた何してんの⁉」って、浮気の証拠の写真を突き付けて問い詰めるなんてマネ、どうやら今の私には出来そうにもない。情けない。昔から大人しい瑛美が男の子にいたずらされた時には私が代わりに声を張り上げて叱っていたというのに。あの頃の強気な自分はどこに行ってしまったのだろうか。  重い足取りで寝室まで歩いて倒れるようにベッドへと沈んだ。いつも以上にベッドが深く沈んだように感じる。頭まで重たく感じて、何も考えたくないのに頭の中は光臣と伊織のことでいっぱいだった。今一番大切なものである伊吹の笑顔だけをどうにか思い浮かべるようにして目を閉じていた。  ここまで精神的に不安定になることなんて初めてかもしれない。そんな自分の心との上手い付き合い方が分からなくて、いくら伊吹の笑顔を思い浮かべても全然寝付けない。普段寝付きが良い上に、いつもと違う早い時間にベッドへと居るからか、頭が寝るという段階へ追い付いていないのかもしれなかった。  何も解決していない問題と眠れない状況に段々とストレスが募っていく。一度水でも飲みに起きたいけど、光臣の顔を今は見たくないから寝室から身動きがとれない。枕を力強く掴んでイライラをぶつけていると、寝室に近づく足音がして咄嗟に寝ているフリをした。  寝室のドアが開く小さな音がして光臣がベッドへと向かう気配がする。寝ているはずの私を気遣って音を立てないようにゆっくりと動いているのが目を閉じても分かって、その優しさが今は何も心に響かなかった。光臣と伊織の関係をはっきりさせるまで、私はずっと光臣の優しさを真っすぐに受け止めることが出来ないと気付いて、泣きそうになった。  すぐ傍で光臣の静かな寝息が聞こえる。私はどうやら今日はまともに寝られそうにもない。伊吹は今日も夜泣きをすることはなさそうだ。今夜だけは夜泣きをしてくれたら、眠れなかった言い訳に出来たのに。
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