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くろ」こと黒川先輩は、起きている間、驚くくらい犬としての役割を全うしていたけれど、寝ている時、時々そうじゃないことがあった。
「ううー、ううー」
金曜の夜はいつも家族でテレビを見ている私達は、犬のそれとは違う唸り声に驚いた。
声は眠っているくろから発せられていて、その声はまさに悪夢を見ているのだった。
額に脂汗をにじませ、苦しそうにうめく、くろは毛の色とは違う、うんと深くて光を一切解さない真っ黒な手に首を絞められているようだった。弟と妹にもその一切の慈悲を持たない、黒い手が見えたのかもしれない。私達は、そのうめき声に恐怖を感じて身を寄せ合って怯えた。
眠っている時だけが、人のはずなのに、くろはそれが苦しいようだ。
ママはそんなくろの側に腰をおろして、頭を優しく撫でてやった。何度も、何度も撫でて、その手は私達が嫉妬しそうなほど、たっぷりと愛を含んでいて、まるで黒い手が汚した部分を綺麗にふきとってやっているかのようだった。
ここに来るまでに、彼の人生に何があったかは知らない。
人づきあいは悪いが、イケメンで誰からも愛される存在だと思っていたから、一層のこと哀れに思えてならなかった。
くろのこわばった顔は頭を優しく撫でてもらっていくうちに、除所にほぐれて、やがてほっとしたように彼は深い眠りの中に流れていく。
そして、目が覚めると再び「くろ」に戻るのである。
そんな苦しいことがあった夜は、私と弟とくろで夜中散歩に行くと決めている。
くろは相変わらず何もしゃべらず、私と弟が話している後ろを黙ってついてくるだけなのだが、喜んでいるのは分かっている。
何が楽しいのかは、さっぱりわからなかったが、彼にとって居心地がいいのならそれでいいのだ。
夏の草木の濃い匂いを嗅ぎながら三人で夜道を歩き、私はこれからの長い人生のなかで、きっとこの時間を何度も思い出すんだろうな。と直感的に思った。
真っ黒な夜だけど、どこか明るくて、犬の鼻の先のようにじめっとしているのに、それさえも忘れたくなくなるような甘い夜がある。
ささやかな日常の中に、真っ黒で大きくて温かな先代のような存在はどこにでもあるのだと感じていた。
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