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私たち家族はくろとの生活を心から楽しんでいたのだが、学校で生物を習い始めた頃、「黒川先輩、行方不明らしいよ」という噂が耳に飛んできて、ひやっとした。
ほかにも、背が高いから県外の高校からスカウトが来たのだとか、イケメンだから芸能界に入るために東京に引っ越したとか、海外に売り飛ばされたのだとか、様々な憶測が飛び交い始めたのだ。
まさか、冴えない私の家にいるとは誰も思うまい。
そのころには、
「くーろー!!わんしてー!」
と、妹は常に家の中を捜しまわるほど、くろは妹にとってなくてはならない存在になっていて、くろもくろで、自分の名前を忘れてしまったようかに、その名前にすぐに反応し、呼ばれたほうに飛んでいく。
私もくろと離れるのは嫌だ。
私は思い切って、学校でのことをパパに打ち明けた。パパは「そっか」と笑って、妹を抱いて眠るくろの姿を優しい目で見つめて、私の頭を撫でた。
それからしばらくして、夏休みになり、
「家族でキャンプに行こう!」
と、パパが提案してきた。
行き先は家族みんなが行ってみたかった湖畔のあるキャンプ場。
家族での旅行。しかも、ペットが一緒なんて、先代のクロの時にはできなかったから、嬉しくて毎日キャンプのことを考えた。
当日、空は晴れ渡り、絶好のキャンプ日より。各が思い思いにはしゃぎながら、車へと乗り込んだ。くろもよほどうれしかったのだろう。ずっと車の窓から顔をだして風を感じ、何度もママに叱られていて、弟は何がおかしいのかずっとゲラゲラと笑っていた。
最近、特殊な家族になったのに、旅行という非日常を過ごしているのに、なぜか元々そうでしたよ。といった感じで何のわだかまりもなく、キャンプは進んでいく。
テントを立てて、今日ばかりは任せてほしいねと、パパは腕まくりをして料理に取り掛かり、ママは「じゃ、お願いね」とハンモックの上で本を読み始めた。
弟と妹はまるで妖精みたいに、跳ねたり飛んだりしながら遊びまわり、私はくろとその様子を微笑ましく眺めていた。
やがて、日が沈みはじめ、辺りがオレンジ色に染まる。
全てを包みこむ大きな力がそこにあって、いつもはすぐに飽きる妹も、心打たれて釘付けになっているのがわかる。
くろの真っ黒な目も、キラキラと光っている。
「すごく綺麗だね」
私は思わずくろに話しかける。
くろは嬉しそうに笑って、頷いた。
あぁ、そうか。
もうそんなにまでなってたんだ。
私は彼の中の、くろが終わっていくのが見えた。
夕日を見つめほほ笑む、彼に私は向き直りお願いをする。
「くろ、ないて」
くろは、
「わん」
と小さく鳴いた。
「違うの、私、あなたに泣いてほしいの。悲しいって。辛いって」
くろはペットとしてではなく、人として私が話しかけてきたことに驚いたようだった。
「くろ。あなた今、感動したでしょ?」
目が見開かれて、私はその中にいる黒川先輩に話しかける。
「あのね、私、最近学校で生物を勉強したの。
生き物が生きて、死ぬまで。それと、人と植物の違いとか」
私たちは犬とか、猫とか特に自分の家族のように思うペットを人のようにして扱ってしまう時がある。けれど、動物達と私たちは絶対に相容れない違う存在なのだ。
「あのね。人と動物の違いって何かわかる?」
くろは首を傾げることなく、私を見つめる。ペットとしての完璧な仕草だった。
けれど、ごめんね。
「動物は感動したりしないんだって」
動物に感情はあって、好き嫌いがあっても、人のように「ときめくこと」や「切なく」思うことはないの。そういう繊細な動きをするようにはできてないの」
だから、悲しんだりしない。
「くろ、あなた今、この夕日を見て感動したでしょ?
きれいだと思ったでしょ?
今、生きてよかった。って心から思ったでしょ?
そういうのは、人じゃないとできないの。
だから、くろ。もう黒川優に戻る時が来たんだよ」
くろを飼うと言ったのは、パパとママだから、これは私の言うべきことじゃないかもしれない。けれど、今、ここでくろの感動を見逃したら、彼はこれからも現実を受け止められないんじゃないかと思う。それに、ここで見た強烈な景色は辛いことがあった時、くろを助けてくれると思う。だから、今でないとダメなんだ。そうであってほしいと祈りを込める。
「めい、わく、だった?」
くろが俯き、かすれた声をだすので、私は慌てて首を振った。
「そんなことない!くろがいて楽しかったよ。
みんなそう思ってるよ。
だけどね、くろはそろそろ人間にも戻らないといけないんだよ。戻れる時が来たんだよ」
くろの手を取って、その手で指を撫でてやる。
人にしかない確実な証し、きっとこれからずっと必要となるもの。
くろは顔を上げ、うんと悲しそうな顔をした。
あぁ、痛いなー。
でも、きっと彼の方がもっと痛いだろうから、
「くろ、泣いていいんだよ」
全てを受け止める覚悟はできていた。
黒川先輩は、声をあげて泣いた。
涙が、後から後から溢れ出でて、止まらないようで子供のようにずっと顔を拭っていた。
私は、これから彼を覆っていく夜の闇から少しでも彼を守ろうと頭からぎゅっと抱きしめる。
黒川先輩は、さらに大声を上げて泣いた。
彼の泣き声を聞き付けて、みんな飛ぶように集まると、全てを悟って、私ごと黒川先輩を包みこんだ。そして、みんなして泣いた。
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