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進行方向は黒 11
「……いえ、あの、光ってますよ。今は、青信号です。ほら、見えるでしょう」
馬鹿な、と思い、男性の示す方向を確認する。しかし、
「いえ、やっぱり、黒ですよ」自分は首を振り、ありのままに言った。そして、男性に救いを求める一心でまくし立てた。
「黒ですよ、黒。これだと進んでいいのか、止まればいいのか、わからないですよ。わからないですよ、自分には。昨日も一昨日も、わからなかったんですよ。自分だけが、わからないままなんですよ。どうすればいいんですか。ねえ、どうすればいいと思いますか。教えてくださいよ、ねえ、その通りにしますから」
自分の言葉をしばらく固まって聞いていた男性は、自分が窓から身を乗り出して体に触れようとすると急に後ずさり、「あ、はい、そうですね」と引きつった笑みを浮かべ、逃げるように車へと戻っていった。
不審に思い、振り返って後方を目視すると、男性はドアを開けて車に乗り込んで発進し、反対車線にはみ出す形で自分の車の横を通り過ぎて走り去っていった。対向車はいなかった。取り残された自分は姿勢を戻して信号を確かめたが、やはり黒のままで、男性が言う青色など景色のどこにも存在しておらず、途方に暮れた。自分はもう、わからなくなっていた。誰かに、色の見かたを教えてほしいと思った。
夜は更け、時間の経過とともに朝は近づき、交差道路を走る一台のトラックが目の前を通過していった。信号は青にも黄にも赤にも変わることなく消灯し、自分は人気のない交差点の目前でブレーキペダルを踏み続け、暮夜の一部と化していた。
目線を彷徨わせ、虚無感に苛まれながら、茫然と思うのは日常のことだった。明日も、仕事があった。一昨日と昨日、そして今日と同じく準夜勤の仕事が待っていた。夕方に出勤し、深夜に帰宅し、酒を飲み、眠り、休日を挟み、来週からは夜勤で働く、慣れる気配のない作業に、自分はこれからも従事するのだった。そのためには、青信号で帰らなければならないのだった。
もう、わからなくなってしまった。わからなかった。なにもかも。
停車し、ハンドルを無思考に握る。心身ともに虚脱した、深夜の有様だった。
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