帽子

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私は今日、帽子を買いました。 触り心地が何となく柔らかくて、長すぎないつばが付いていて、白い刺繍でお店の名前が正面に小さく記されているのが厭らしくなくて、後ろにサイズを変える紐とシルバーの金具が付いた、真黒な帽子を買いました。 商品棚の途中に小さい鏡が置かれていて、恥ずかしながらその帽子を被って鏡をのぞき込むと、髪の色よりもっと深い黒色の帽子が凄く素敵に見えたもので、得意になって顔を左右に動かしていましたら、背の高い店員さんがこちらを見ているのに気が付いて少し恥ずかしくなりました。 お似合いですよ、と声を掛けて頂いたので、何とも照れ臭いやら嬉しいやらで戸惑ってしまいまして、そうでしょう、と心にもない自信に溢れた言葉を返して、また気恥ずかしい思いをいたしました。その後はその店員さんから何やらこういう服に似合うだとか、深めに被るとこういう印象だとか、ご親切にあれこれと教えて頂きまして、失礼ながらそのほとんどは覚えていないのですが、店員さんのご親切に愛想よく相づちを打たせて頂いたのです。 これをお読みになる方には想像も付かないことと思いますが、ついこの間までは本当に、ふらっと外を出歩くことも難しい世の中だったのです。みんなして不織布のマスクを付けたりして、人と話すことさえも不要になっては、簡単に孤独になりました。やっと最近は後ろ指をさされることなく、これまで通りを取り戻りながら外を歩くことができるようになった気がします。 とはいえ、時間は絶えず流れている。久しぶりに乗った電車は、その車窓に私の現在を映します。ああなんて暗い顔で、表情を生み出す方法も引き出しの奥に仕舞いこんでしまったみたい。口角を上げて、三年ぶりの、渋谷駅。 お出かけをするのがこんなにもうきうきするものだったと、この歳になって初めて知ったような気がしました。ビルの高さ、車の音、人の往来によって揺れる色彩、どれも記憶の中にあったそれよりもずっと鮮明で、別世界のような輝きを放っている。折角の機会と思い、普段は行かないお店に入ってみたところ、例の帽子が目に留まった訳でございます。 私は洋服が好きですが、洋服を組み合わせて自分を魅力的に見せることはどうにも不得意でございまして、色味や形に面白みの無い、地に足のついた普通の女の恰好をする事に慣れてしまいました。駅前を歩いていても、電車の中を見渡しても、大概私と同じような恰好の女性を目に留めては、悪目立ちしていないという安心感と、生まれながらの平々凡々な個性をなんだか歯痒く思うのです。 テレビや雑誌、SNSには、私にはとても着られない華やかな洋服と、その洋服を着ることでより一層に煌びやかに笑っている女性を目にします。どの方もとても素敵で、私もこういう人であれば、今の私には想像もつかないような、私の知らないところに行けたのかもしれない。髪の色をめいっぱい明るくして、靴のヒールも高くして、身体の線が出るきれいな洋服に袖を通して、唇をうんと赤く塗ったりして。そういうことを通じて人は自分自身を好きになることができるのかもしれない。 けれども私はそういった鮮やかな服に手を伸ばすことはなく、上手なお化粧で自分を美しくみせようとする訳でもなく、つい、無難な服を選んでしまうのです。 そういえば、三年前の私はきっと想像もしないだろうけれど、私の周囲の時間だけがゆっくりとしたスピードで過ぎていく間に、長くお付き合いしていた方とお別れいたしました。私もお相手の方もどちらもお互いの事を特別に大切に思っておりましたが、気付かぬうちにお互いに対する敬意を失ってしまったようで、渋谷の街を往来する雑踏に混じってしまうように、私たちは他人同士に戻ったのです。人は相手を大切に想うほど臆病になってしまうのでしょうか。あの時にこういうことをしていれば、とか、いつか行ってみたいと話したあそこに行っておけば、とか、そういう細々とした悲しさが、後になってふつふつと沸き上がってくるのです。 お別れしてから初めて気が付いたのですが、私にはその方の他に、一緒にお買い物に出かけるような友人がいませんでした。以前は何人か仲良くしてくれる友人がいたと思いますが、三年間のうちにあっという間にその人を大切に思う気持ちを忘れてしまいました。 いいえ、本当は、私がただぼんやりと日々をすごしているだけで、誰に連絡を取ることもなくなってしまっただけでした。そういう私の、自分の事しか考えていないところや、相手の好意を当たり前に感じてしまっているところが、恋人や友人を私から遠ざけさせているのだと思います。人は、何もしない人を目の前にすると腹が立つものです。そしてもう一つ、大人になったら、怒ってくれるような私に対して熱意を持ってくれる人は、めっきり少なくなりました。そうやってまた人のせいにするところとかが、私から人を遠ざける。 実のところ私は、一人になるべくして一人になったのかもしれません。 友人との関わりに煩わしさを感じて、恋人と過ごす時間に退屈を感じて、そうして私は孤独な女だと思い込んでいたのかもしれません。明るい髪の毛や肌を沢山みせた服を着ている女たちを、その見た目でないと何者にもなれない可哀そうな人だと、心の底で憐れんでいたのかもしれません。 私は嫌な女でした。自分を不幸だと決めつけることと、それでいて私は他の誰かより価値のある人間だと思い込むことと、いつか何か自分の外側にあるものが私を価値あるものにしてくれると期待していることと、その何かを自ら探すことは下品なことだと考えることが、これまでの薄ら小さい私を作りあげていたのです。私は私を好きではありません。そうか、私は嫌いな自分を変えたくて、今日帽子を買いに来たのだ。 帽子を一度外すと、同時に髪の毛がふわりと立ち上がりまして、それがとても心地よく感じて、私は帽子の刺繍を右手の人差し指でなぞって、もう一度、深く帽子を被ります。 この帽子を作った方は、まさか私のような女がこの帽子を買うとは思いもしなかったことでしょう。この帽子が似合う人は私の他にもごまんといて、私よりも鼻筋の通った美人だったり、日に焼けた肌のたくましい男性の方が似合うかもしれません。それでも私は今日、この帽子を買おうと思います。この帽子を被って、いつもより少し周りの人を優しく思い、自分は幸福だと感じながら、背筋を伸ばして歩くのです。この帽子を被ればどこへでも行けるのだと、私は私を信じるのだ。 店員さんに、このまま被っていきますかと尋ねられたので、せっかくなのでそうしますとお伝えしました。店員さんは丁寧に値札を切り、帽子を私に渡してくださりました。二千四百八十円。私は今日、二千四百八十円分、私のことを好きになるのです。
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