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最初っから
六郎はぎくりとして、狸汁の椀を誤魔化しに飲む。
「今日の狸はうめなぁ。やっぱ田兵衛の腕は天下一だな」
熙子はそれに呆れてしまう。
「花子も不憫だけんが、六郎も不憫だ。松子なんかに引っかかって、あの黒髪が良かったけ、情けねえ」
熙子は着物の懐から、一枚の紙を取り出した。それには、田兵衛の名前と共に、『花子』と『熙子』の名前が書いてあった。
とどのつまり、『花子は熙子に頼まれて貸し出したものであるから速やかに返却し、熙子とは相思相愛の仲であって腹の子は自分のものであるから速やかに引き渡すように。さもなくば猟銃で撃つぞ』と書いてある。
六郎は驚いた。
「お、おめの腹の子は、田兵衛ン子け?」
「そうよ」
「い、いつから?」
「最初っから」
「じゃあ、おらと暮らした理由は?」
「逆に聞くけど、何でウチは貧しいの? あんたが働き者なのは間違いねえべ」
「それは⋯⋯おらが松子に牛鍋を食わせるような奴だから?」
「そう思ってれば安いもんね。ありがとう。じゃあ離縁ってことで、お世話になりました」
六郎が呆気に取られていると、猟銃を持った田兵衛が家にずかずかと入ってきた。
熙子はすでにまとめてあった荷物を持ち、二人揃って家を出ていく。
その半年後、田兵衛は村の有志を集め、黒牛の牧場を開いた。
「これからは牛鍋の時代だ」と述べる田兵衛の読みは当たり、村に大きな富をもたらした。
熙子はその傍らで涼しく暮らし、五男四女をもうけた。
やがて村長にまで上り詰めた田兵衛の原資が、懸命に畑仕事をしていた六郎の稼ぎだったとは、熙子と田兵衛の秘密である。
ちなみに余談だが、花子は黒毛種の牛であったため、明治から昭和にかけて幾度も交配を重ね、のちの黒毛和牛ブランド化を目指したが、代々の経営者に先見の明がありすぎたせいで、和牛とは認定されなかった。
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